神様のいる町


祭囃子が聞こえる 2

目次


「このメモにあるお店、分かりますか?」
 内野さんがすっとメモを差し出した。差し出されたメモには、一目で男の人が書いたとわかる文字で『子狐屋』の名と買ってくるものが記されている。きっとあの写真家の人の文字だろう。力強い、男の人らしい文字を見ていると、この人の写真を見てみたくなった。文字と似て、力強い写真を撮るのだろうか。それとも、まったく違うやさしい写真を撮るのだろうか。
 『子狐屋』の場所を思い浮かべることができたので私ははい、と頷いた。町のすこし外れの入り組んだ場所にある雑貨屋さんのようなかわいらしいお土産屋さんだ。
「小さい頃から何度も遊びに来ていますから、わかります。ご案内しましょうか?」
「え、でも薫さん、お仕事は……」
 澄子さんの着付けのお手伝いは二時からで、それまではどこかで別のお仕事を手伝おうと思っていた。浴衣姿でできる仕事など限られているけれど。
「……それじゃあ、お願いできますか?」
 説明すると、内野さんは遠慮がちにそう言った。内野さんはなんだか申し訳なさそうにこちらを見ている。きっと、私が澄子さんのお客さんだからと遠慮しているのだとおもうのだけれど、そんなことは気にしないでくださいね。
「お任せください。」
 そういう意味も込めて、にこりと笑って胸を叩いて見せた。すると内野さんもにこりと笑いかえしてくれたので私はほっとした。澄子さんのお客様のお手伝いができるなら、とてもうれしい。

 先に階段を下りた内野さんが声をあげた。
「朝兄、撮影現場に行ったんじゃなかったの?」
 取材に言ったはずの田中さんはそれに応えて腕に引っかけた小さな機械を揺らして見せた。
「取材陣の用意は今居る人数で充分だから、街の人からも話を聞いて来いってさ」
「結構いい加減ねぇ、孝弘さん」
「小さい出版社は柔軟性が大事って言ってたけどね。どこまで本気なんだか」
 お二人のやりとりを聞いていると、なんだか内野さんと田中さんは弥生の神様と澄子さんみたい。
 田中さんから視線をずらすと竜神様のお顔が見えた。そのお隣には弥生の神様もいて、私は少し驚いた。
「……あの、神様、本殿にいらっしゃらなくてよろしいのですか?」
 そばに行って、ためらいがちに尋ねると弥生の神様はおもいきり顔をしかめてみせた。
「本番が始まる前に、散歩でもして酒気を抜いて来いと言われてな。たたき出された」
 誰に、とは言わなかったがそんなことをするのは澄子さんしかいない。でも、澄子さんったら何を考えているのかしら。まだお祭りは始まっていないし、神輿に乗るわけでもないのに神様が神社を離れるのは良くないはずだけれど。
「ですが……」
 煮え切らない私の隣に竜神様がいらっしゃった。
「弥生のがおらぬ間、ここの守護は、私が引き受ける。心配せずに、薫は客人を案内してくるといい」
 そう言って竜神様は身をかがめ、素早く「でないと澄子殿もかわいそうだろう?」とささやいた。
 私はいつの間にか止めてしまっていた息をそろそろと吐き出した。
「カミ様がここを離れるのは、やっぱりあんまり良くないことなんですか?」
 興味深そうに内野さんが尋ねるのへ私はこくりと頷く。
「普段は構わないのですが、こういう時は。人の活気は、良いものをたくさん呼び寄せますが、やはり悪いものも呼び寄せてしまいますから」
 感心したように内野さんは頷いた。それで納得したらしく、内野さんの視線はすぐにちょろりと動いたしずちゃんに移った。
 内野さんと目があったしずちゃんはツン、とおもいきりそっぽを向いた。おかっぱの髪の毛が少し遅れてひらりと揺れる。
「眷属の宴用の油揚げを買い足しに参りますの。澄子様から、お客様のご案内も承っています。」
 頼まれたから仕方なしに案内してあげるのよ、と言わんばかりの口調に内野さんは少し目を見開いた。
「しっかり謝って来いとも言われていたようだが?」
 弥生の神様が意地の悪い笑みを浮かべながら仰っても、しずちゃんはそっぽを向いたまま答えなかった。そしてつんとすましたまま歩き出す。精一杯背伸びをしているようなのだけれど、しずちゃんはあまりに小さくて、生意気な態度もただかわいらしいだけだ。
「嫌われちゃった……?」
 内野さんもきっとそう思ったのだろう。苦笑まじりに田中さんを見上げている。けれど、やはり嫌われるのは悲しいらしく、しょんぼりとした様子でしずちゃんを追った。
「一番嫌われたのは僕だと思うけどね」
「そりゃあんなこと言えば」
 あんなこと? この優しそうな田中さんが、どうしたら嫌われるようなことになるのかしら。「あんなこと」に込められた含みが気になって、歩き出した内野さんをつかまえて尋ねてみる。
 どこから話せばいいのか……。内野さんは少し考え込んでから、おもむろに切り出した。
 お二人が澄子さんに挨拶をされた後のこと、内野さんはしずちゃんになにやら怪しげな術をかけられそうになったらしい。そこを危ういところで田中さんに助けられたのだけれど、その際、しずちゃんの本性が狐だと知った田中さんは弥生の神様に狐のマフラーは暖かいのかと尋ねたのだそうだ。
 その時のしずちゃんと、弥生の神様の表情が脳裏に浮かんで私は思わず笑ってしまった。弥生の神様はそれは楽しそうなお顔をされていたのだろう。
「大変でしたね、内野さん」
 内野さんもつられたようにくすくすと笑った。
「ところで、その『内野さん』はやめません?」
 ひとしきり笑った後、少し先を歩いていた内野さんは突然くるりと身体ごと振り返った。つられて私は立ち止まる。
「私が年上だからとか、そういうことは考えなくていいですから、名前でよんでくれませんか」
 『すみちゃんでいいっていうんですけどね』唐突にいつかの澄子さんの言葉がよみがえった。内野さんもそう呼ばれるのはいやなのかもしれない。
「まひるさん?」
 名前を呼ぶと、ご自分で言い出したことなのにまひるさんは面食らったように目をぱちくりとさせた。
「まひるちゃーん?」
 その時、ずいぶん先に行ってしまった田中さんが振り返って呼んだのにまひるさんは我に返ったようだ。まひるさんは目で私を促して、先に行ってしまった三人を慌てて追った。


「豆腐屋はこっちです。油揚げも同じ場所で売ってます」
「『子狐屋』はこちらです」
 T字路で私としずちゃんはほぼ同時に声をあげた。しずちゃんは右側を、私は左側を差している。
「一件ずつ回っていくのは時間がかからんか?」
 たぶん全員が同じようなことを考えて、けれど言い出せなかったことを弥生の神様はすっぱりと仰った。
「そうですね……」
「二手に分かれましょうか。しずちゃんと僕、カミ様と薫さんとまひるちゃんで」
 やんわりと田中さんが提案する。
「ちょ、どうしてその分け方!!」
 耳と尻尾こそ出さなかったけれど、しずちゃんは全身の毛を逆立てて食ってかかった。田中さんは先ほどの小さな機械を取り出して、しずちゃんの目の前で小さく揺らしてみせる。
「取材するなら、神社縁の言い伝えがある豆腐屋さんの方がいいだろうし。かといってまひるちゃんと薫さん、女の子二人きりはちょっと危ない気がするし。」
 抗議を続けるしずちゃんをさりげなく無視して田中さんは弥生の神様を見上げ、さらに続けた。
「カミ様、二人をお願い出来ますか?」
「構わんよ。ちょっかいをかけてくる奴がおったら、稲荷寿司に変えて、今宵の宴の肴にしてくれよう」
「そこまでしなくていいですから!」
 あわててまひるさんが申し出を断ると、神様は「なんじゃ、つまらんのう」とつぶやいた。弥生の神様はとても楽しそうだ。澄子さんにいつも冷たくあしらわれているせいか、大真面目に反応してくれる人がいるとうれしいらしい。絶好調だ。
「じゃ、一時半に、ここで待ち合わせにしましょうか。それなら余裕を持って二時に間に合いますし」
 しずちゃんの必死の抗議はだれにも聞いてもらえずに、年長組の間だけで話は決まった。
「それじゃ、また後で」
 しずちゃんと田中さんは細い路地に姿を消した。
「……大丈夫かな……」
「どちらが、かのう? あの若者なら心配いらんだろう。ちいさいのの気を完全に呑んでおるからの。化かされることはなかろうて」
 きゃんきゃんと騒ぎ続けるしずちゃんの声と、それをなだめる田中さんの声が二人の姿とともに消えていくと、とたんにあたりは静かになった。
 まひるさんがいつまでも二人が消えた路地を見つめているので、私はそっとまひるさんの服を引いた。

「……あら?」
 頭の中の地図をたどりながら歩いて行くと、どうしてだか思っていたのとは違う道に出てしまった。この先には道が続いていたような気がしたのだけれど、目の前は行き止まりだ。
「薫さん、ここ……」
 まひるさんの不安そうな声に私は改めて頭の中の地図と、今の状況を並べて比較した。『子狐屋』はすこし外れの入り組んだ場所にあるけれど、住宅街ではなかったように思う。

 ……それとも、そもそも「少し外れ」ではなくて、最初から勘違いをしていたのかもしれない。

「私、どうも道を間違えてしまったみたいです……」
「そうだな。『子狐屋』は大通りに面した店だったように思うが」
 神様がそっと目配せをして言うのに、私は自分の記憶が間違っていたことを確信した。道に入り込まなくても、バス通りをそのまま下ってこれば、『子狐屋』に着くことができたのだ。
「道、ご存知ですか?」
 まひるさんが不安を隠した顔で、そっと神様を見上げて尋ねた。
「……いや。申し訳ないが、わしは普段はヒトの道を使わんのだ」
 ああ、まひるさん。ごめんなさい。きっと澄子さんなら、間違わずに案内をすることができたのに。どうして私はこんなにも頼りないのかしら。
「ここからもいけると思います。多分、向こうを曲がるときに、路地を一本間違えてしまったのだわ……だから、向こうの通りに出るには、ここを曲がれば……」
 焦って、頭が空回りをする。私ったら、いったい何を言っているのだろう。とにかく、バス通りに戻らなくては……。
「あ、薫さん!」
 角を曲がろうとしたときに、まひるさんに呼び止められて私は後ろを振り返った。けれど振り返った後ろには、まひるさんはおろか、神様の姿も見つけることは、できなかった。

 …………?

「まひるさん?」
 住宅街だというのに、人の気配はどこにも感じられなくて急に心細くなる。幼いころからよく遊びにきたはずの弥生町の風景なのに、まったく知らない町に迷いこんでしまったような気がする。
「弥生の神様?」
 呼んでみても、どちらからも答えはない。心の中にすぅぅ、と不安を誘う風が吹き込んだ。糸から手を離されてしまった風船のように、心もとない。とにかくはぐれる前のもとの道に戻らなくては、と道を戻ってみたがもとの道はどこにもなかった。曲がり角の向こう側は、曲がる前とは違う風景が広がっている。
 こく、と唾を飲み込んだ。今日はとても蒸し暑かったはずなのに、背筋がすぅと冷たくなった。
「まひるさん?」
 そろそろと息を吐き出すようにして、もう一度名前を呼んでみる。
 その時、頭上に張り出した庭木から、ばさりと何かが落ちてきて、私は思わず目を閉じて悲鳴を上げた。
「へへっ……」
 落ちてきた何か、から聞こえた幼いいたずらっ子の笑い声に私はそろそろと目を開けた。
「びっくりした?」
 何か、は立ち上がって、小首をかしげた。西洋風のお面をかぶって、体に似合わない大きな斧を持っている。お面から四角い大きな顔ははみ出していて、目を斜めにまたがる電車の線路のような大きな傷跡が見えた。けれども、恐ろしい外見とは正反対に、それから発せられる気配はなぜだかやわらかく、かわいらしい。
「はい。驚きました」
「皐月の巫女様、これ、なんだかわかる?」
 これ、というのはどうやら仮装のことらしい。ヨーロッパのお化けか何かだったと思うのだけれど……
「あのー、……アインシュタインさんですよね」
 あまり自信がなくて、答える声は自然に小声になった。
「ふらんけんしゅたいんだよ! 巫女様はきっと日本のお化けだったら怖くないと思って西洋のお化けにしたの。」
 ちいさなフランケンシュタインはその場でくるりと宙返りをして、仮装を解いた。水干姿の狐の耳と、尻尾を持つ小さな男の子が姿を現した。どこかで見たような……
「昼間のきつねさん?」
 うん、と男の子は小さくうなずいた。そうして手に持ったままだった斧をとん、と地面に突いた。斧は一瞬で消え去って、男の子の手の中には白い可憐な小花の束が残った。
「皐月の巫女様。ちょっとかがんでよ」
 どうして? と首をかしげて男の子を見ると、男の子は私の手を引っ張って地面に座らせた。そのまま手を耳に伸ばして、探るように髪の毛をかき混ぜる。一体何をしているのかしら。
「さっきは髪の毛引っ掛けちゃってごめんなさい。これ、おわびなの。ぷれぜんと。皐月の巫女様の浴衣と、髪の毛に似合うから。」
 男の子の手が離れてから私はそっと、男の子がいじったあたりに手をやった。耳の上辺りに、花が飾られている。ほろりと一つ、マーガレットに似た小ぶりの花が落ちてアスファルトの上に転がった。
「あら、とてもきれい。孔雀草ね」
「皐月の巫女様にとってもよく似合うでしょ。」
「ありがとう」
 落ちた花を指先でつまみあげる。そうしてそのまま耳の上に挿しなおして立ち上がった。
「あのね、一つ聞いてもいいかな。」
 なぁに? と男の子は小首をかしげた。瞬きと連動するように髭がひくひくと動いた。
「弥生の神様がいる場所わかるかな?」
 うん、と元気よく男の子の首が縦にふられた。
「ここの道をね、まーっすぐすすんで。振り向いちゃダメだからね」
 小さく手を振って、私は男の子に背を向けた。もう一度振り返って、お礼を言おうと思ったけれど、振り向いてはいけないといわれたのを思い出して我慢した。

「あら、まひるさん?」
 見覚えのある後姿を見つけて、私はほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、はぐれてしまったかと思いました……。ここは?」
「さっき通った所です。ほら、お社があるでしょう」
「まあ、本当。あの道はこんな所に繋がっていたんですね」
 狐さんに教えてもらった道は、まひるさんたちとはぐれたこの場所につながっていたのかと、頭の中の地図を書き換える。
 まひるさんが突然かくんと崩れ落ちて、私は慌てて手を伸ばした。
「どうかなさいました?」
 小さくため息をついたまひるさんは、塀に腕をついて体を支えた。まひるさん、貧血かしら。大丈夫なのか不安になって弥生の神様を見上げると、神様はそっと頷いた。
「見慣れぬ土地で連れとはぐれて、精神的に疲れたのかもしれんな。それよりも、早く『子狐屋』に行かんといかんのではないか?」
 神様に言われて、まひるさんは携帯電話を取り出して時間を確認した。
「今、何時ですか?」
「一時十分ですよ」
 集合時間までは後、二十分しかない。私がはぐれてしまったせいで、時間がなくなってしまった。急がなくては。携帯電話をしまいかけたまひるさんはふと顔を上げて、携帯電話をまた取り出した。時間がなくなったのは私のせいだとはいえ、携帯電話を触っている場合では……
「急ぎましょう。ええと、今度は間違いないです、向こうの角を……」
「いえ、そのもうひとつ向こうの角を左です」
 さえぎられて、私は「え?」と振り返った。まひるさんはもう一度、携帯電話の画面を覗き込んだ。それから、不思議そうな顔で寄ってきた弥生の神様と私にその画面を見せて、指で示す。
 携帯電話の小さな画面には地図が表示されていて、小さな星が画面の中央で瞬いていた。こんな便利な機能もついているのね。
「そこのガソリンスタンドを左、で、バス通りに出られるみたいです。薫さん、あってます?」
「……ええ、はい。そうです。私、また間違えていたのですね……」
 私は小さくため息をついた。
「ほう、最近の電話にはそんな機能もついているのか。便利になったものだな」
 無理を言って案内役をさせてもらったことをとても後悔した。私がいなければ、まひるさんはきっとこの機能を使うことを最初から思いついただろうし、そうすれば迷うことだってなかったと思う。
「じゃ、急ぎましょう。……薫さん?」
 まひるさんの心配そうな声に、私は顔を上げて慌てて笑みを作った。沈んだ顔をしたままでは、心配をかけてしまう。
 走りかけたまひるさんはふと振り返って足を止めた。
「その花、どうしたんです?」
「これですか?」
 花に手をやって、私は先ほどの狐さんを思い出した。
「フランケンシュタインさんにいただきました。」
 そういうと、まひるさんはわけがわからないといった様子で首をかしげた。

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