神様のいる町


祭囃子が聞こえる 1


目次

「やっほー、薫ちゃん。ひさしぶり」
 札所の小窓から顔を出したのはお隣の町、弥生町の神社で巫女をしている澄子さんだった。
「元気だった?」
「ええ」
 勝手知ったりと入り口にまわる澄子さんを招きいれる。
「相変わらず仲はよろしいみたいね。いいわねぇ、竜神様はやさしくって」
 皐月野に来ると澄子さんはいつもからかうような口調でそんなことを言う。澄子さんは私を困らせて遊ぶのが好きなのだ。
「ほら、うちのはわがままだしわけわかんないし。――ところで竜神様はどちら? これ、うちのカミさまから」
 そう言って澄子さんは左手の風呂敷に器用に包んだ二本の瓶をゆらしてみせた。たぶん中身はお酒だろう。答えようとしたとき、澄子さんの背後に竜神様はあらわれた。
「ありがたい」
 竜神様はそう言って澄子さんからお土産を取り上げて座り込み風呂敷包みをほどく。
「『月宵』と『花明かり』か。なかなか……」
 無造作に捨て置かれた風呂敷を角を合わせて丁寧に畳み直してお礼と共に澄子さんへ返し、私はお茶をいれるために席を立った。

 竜神様と澄子さんの楽しそうな笑い声がここまで届く。どうしてあんなに竜神様を笑わせることができるのかしら。澄子さん、いいな。
「何の話をしていらしたの?」
 部屋へ戻るとちょうど話が途切れたところだったから尋ねてみる。
「澄子殿に川先の小さいのの様子はいかがかと聞いていたのだ。」
 ああ、あのこと。すぐに思い当たる。弥生の神様のところに小さな狐が修行に来ているのだと竜神様が前に教えてくれたのだ。
「しずちゃんっていってね、おかっぱのかわいい女の子なんだけど、」
「澄子様と呼ばれてだいぶ参っているそうだな」
 竜神様の、とても聞き心地のよい音楽的な声が笑った。この笑い声がとても好きだ。なのに、私が龍神様を笑わせることはあまりない。
「そうなんですよ。しずちゃん、随分しっかりしてるんだなぁと思う反面なんだかこそばゆくって。すみちゃんでいいって言うんですけどね。」
 澄子さんは若いのに子供におばさんって呼ばれてしまったらこんな感じかなぁとぼやいてまた竜神様を笑わせた。
 そろそろお茶っ葉が蒸れたようだ。部屋にいい香りが漂いはじめたので私は急須を取って竜神様の湯飲みにお茶を注いだ。それから澄子さんの湯飲みにも。
 澄子さんは一口飲んでほう、とため息をついた。
「相変わらずおいしいわねぇ」
 お抹茶とかではなくて、誰が入れても同じ緑茶なのに澄子さんは私の入れたお茶をいつも褒めてくれる。
「ありがとうございます」
「あぁもうっ、かわいすぎ。嫁にしたいわ」
 急に抱きつかれた私は小さく悲鳴を上げて急須を置いた。もう、澄子さんったら危ないんだから。
「そうであろう? 何分この私が選んだ相手だからな」
 澄子さんは竜神様と視線をあわせて冗談半分に火花を飛ばしあう。
 いいな、澄子さん。私も澄子さんみたいに竜神様と楽しく過ごしてみたい。お茶を飲み終えた竜神様が手招きをしたのでそばにいくといつものように抱き寄せられた。
 竜神様は……私のどこがお好きなのかしら。私は不器用で、失敗ばかりで、その上背も小さいし、あまりかわいくない。……どうして私なのかしら。
「薫、どうした?」
 気遣う竜神様のお声にはっと顔をあげ、あわてて笑みを浮かべた。こんな自分勝手な感情で竜神様を困らせるわけにはいかない。澄子さんにも心配をかけてしまう。
「いいえ、なんでもありません。ところで澄子さん、お祭りの準備は進んでいらっしゃる?」
「そりゃあもう。しずちゃんがカミさまのお守をしてくれるからはかどるはかどる。祭りのたびに来て欲しいくらいだわ」
「澄子殿にかかると弥生山のもかたなしだな」
 あきれた口調で竜神様はそれにお答えになる。
「それくらいでちょうどいいんです。普段から邪魔ばかりするから」
 澄子さんは何をするにもはきはきとテンポがいい。どうしたら澄子さんみたいに楽しく話ができるのかしら。
「すいませーん。」
 札所の窓から誰かが顔を覗かせた。はい、と答えて私は立ち上がる。
「やっぱり祭りの前はゆっくりしていけないわね。もう時間だしそろそろ帰るわ」
「はい。秋祭りの舞、楽しみにしています。」
 澄子さんも一緒に立ち上がった。人がいるから見送りはいいわよ、と身振りでいって澄子さんは草履をはいた。そこまで見届けて私は札所の対応に向かった。



 弥生の秋祭りの日、澄子さんのお手伝いをすると約束していたので竜神様と私は少し早めに弥生神社に到着した。挨拶をしに行くと、澄子さんはお客様二人とお話している。でもなぜだか澄子さんの顔が引きつっている。どうしたのかしら。
「こんにちは、澄子さんどうされたの?」
 本当はお客様とお話が終わるまで待っていようと思ったけれど、心配になって話しかけてしまった。澄子さんはそれくらい困惑した顔をされていた。澄子さんの表情とは反対に、お客様は首をかしげている。
 いらっしゃい。手を上げて応えた澄子さんは引きつった顔のまま、お客さんに向き直って私の紹介をした。
「こちらがお隣の皐月の巫女さんでお友達の薫ちゃん」
 澄子さんの言葉を継いでフルネームを言い、私は頭を下げた。
「薫ちゃん、こちらは雑誌の取材に来られた方で、田中朝さんと内野まひるさん。あと、先に行かれたけど佐藤さんというカメラマンさんがいるの。ひまわり出版の『ひだまりのこども』っていうシリーズの幼児雑誌の、保護者用の付録冊子の取材なんだって。それで、えーと」
 澄子さんは誰も口を挟めないような早口で説明していく。
「お客様たちにはうちに泊まってもらおうと思ってるの」
 澄子さんがこんな風に誰も言葉を挟めないように喋るのは、何かにあせっていることが多い。私は竜神様を見上げてこっそり笑いあった。でも何があったのかしら。
 なんとか言葉の切れ目に会釈をしたお客様は不思議そうに顔を見合わせた。
「お世話になります。それであの、こちらの方は?」
 竜神様を指してお二人が声を合わせて尋ねるのを聞いて、澄子さんは「やっぱり見えてる〜!!」と叫んで弥生の神様のところへ飛んでいった。
「あの二人には我らが見えているようだな」
 見上げると竜神様はそう仰った。私は二人と竜神様、そうして弥生の神様を見比べてもう一度竜神様を見上げた。
「やっぱり神様が見えるのは珍しいのでしょうか?」
「珍しいな。」
 普通の人には神様の姿はみえないのは知っていたけれど、お父様や澄子さんが見えるからすっかり忘れていた。
「……神様?」
 お客様はお互いに顔を見合わせてそれからそっと私に尋ねた。私は答えていいものか迷って竜神様をまた見上げた。竜神様がいいよ、とおっしゃるように私の背中にそっと手をそえた。
「あちらの祭壇の方はこの弥生神社に祀られている神様なのですよ。竜神様は皐月の……」
 お客様の女の人、内野さんがにこりとわらった。内野さんは私と同じぐらいの背の高さだ。顔を上げずにお話できるのはやっぱりうれしいと思った。背の高さが近いだけで親近感がわく。お隣の男の人は竜神様と同じくらい大きいのだけど。
「綺麗な方ですね。竜神様って、もっと怖い感じなのかと思ってました」
 竜神様を褒められて私はとても嬉しくなってしまった。
「ええ、とても優しい方です」
 竜神様はぽんぽんと私の頭を叩いて弥生の神様の所へ行ってしまった。
「……じゃ、まひるちゃん、そろそろ荷物置きに行こうか」
 内野さんもすぐにそれに同意した。
 「あの……」男の人が歯切れ悪く言うのに私は事情を察して「伝えておきます」と応えた。つい先刻まで弥生の神様を叱っていた澄子さんのひそひそ声は、だんだん熱を帯びて大きくなっている。これでは口を挟みづらいと思う。
「カーミーさーまー!? 本当にわかってるの? まったく、お客さんの前で恥ずかしいったら。」
「澄子さん、時間は大丈夫ですか?」
 私は澄子さんの肩をそっとたたいた。振り向いたその目は大丈夫じゃないわよ、と言っている。澄子さんは目を血走らせていて、なんだか怖い。
「ここは片付けておきますから。夕方は神楽を舞われるのでしょう? そんなに気を荒らしては……」
 肩で大きく息を付いた澄子さんはそこでやっと弥生の神様から手を放した。祭り前の数日はとても忙しいから、疲れているのかもしれない。後でお茶でも入れてあげよう。
「ありがと、悪いけどお願いね」
 澄子さんが行ってしまうと弥生の神様も大きく息をついた。
「助かった助かった。まったく、巫女は気が荒いのぉ」
 手をぱたぱたとふって顔に風を送りながら弥生の神様はあきれ声でそう仰った。どうしたらいいのだろう。……澄子さんならどう答えるかしら。
「澄子さんにも言われたと思うのですけど、お酒は宴会まで我慢なさってください。」
 言ってしまった瞬間、とても後悔した。弥生の神様と竜神様が驚いたように私を見ている。きっときつくいいすぎてしまったのだ。どうしたらいいかわからなくなってうつむくと竜神様がそっと私の手を取った。
「薫、よく言った。そうだな、どこかの誰か様はそれくらい言わないと聞けないらしい。言うことを聞かせるにはそれこそどこかの巫女殿のように強気でいかねばな。」
 弥生の神様をからかって喉の奥で笑った竜神様は「さあ、行くか。」と私の手を引いた。竜神様の機転のおかげでなんとか調子を取り戻した私は返事をしてこくりと頷く。
 他の人には姿が見えない竜神様に手を引かれて歩いている私は余所から見れば少し変だ。だから私は小走りで追いついて横に並び、一度手を放して小指どうしをからませた。そのまま寄り添って歩き出す。
 廊下に出た途端、私と竜神様の横を小さな女の子が走ってすり抜けた。裾がひらりと翻った残像が目の端に残った。
「薫、今のが川先の小さいのだよ」
「澄子さんが仰っていた『しずちゃん』ですか? 足が早くってお顔は見られませんでした」
「じきに会える。目的地は同じ様だから」
「楽しみです」
 答えて私はまた歩きだす。ぺた、ぺた、ぺた……裸足で板敷きの廊下を歩む感触を楽しみながらゆっくりと。下ろしたままの髪を風が散らす。
 風の行方を追うと、奥の神殿にお父様の姿が垣間見えた。気配を感じたのか、お父様はふと顔を上げて竜神様に深々と頭を下げ、それから私に微笑みかけた。そうしてすぐに仕事に戻る。お父様は、澄子さんのお父様が亡くなられてから、皐月野とかけもちで弥生の神事もこなすのだ。
「痛っ」
 ふいに何かに髪を引かれて私は小さく悲鳴をあげた。すぐ隣で、どたりとこける音がして私は髪を引かれるままにしゃがみ込む。
「薫、大丈夫か?」
「ごめんなさい!」
 同時に聞こえた竜神様の声と、小さな男の子の声にようやく状況を理解した。風になびいた髪の毛が、走ってきた男の子に引っかかったらしい。
 竜神様が絡まった髪をほどいてくれている間、狐の耳と尻尾を持つ男の子は申し訳なさそうにぺたりと耳を伏せていた。なんだかとてもかわいらしい。祭りの日はヒトならぬものが多く現れるけれど、弥生は特に多いように思う。神社の裏手の鎮守の杜などでは妖の狐の子がたくさん遊んでいる。彼はきっとその一人だ。
「ほら、取れた。気をつけなさい。神社の境内は走るんじゃないよ」
「はーい。ほんとにごめんなさい」
 謝ってしまうと彼の気持ちはもうよそへ向いてしまったらしい。耳をぴんと立ててひげをぴくぴく動かしている。そうして狐の男の子は地面に飛び降りて縁の下に走りこんでしまった。
「隠れんぼでしょうか」
「さあな。」
 澄子さんたちがいる場所に近づくにつれて、なんだか表の祭り仕度の騒々しさとは違った、険悪な雰囲気が漂ってくる。私は少し怖くなって、絡めた小指を強く握って、竜神様を見上げた。障子の向こうからは言い争うような声も聞こえる。
「どうかしましたか?」
 竜神様があけて下さった障子の向こうでは、内野さんが立ち上がってお尻を払っているところだった。どうやらこけてしまったらしい。何があったのかしら。
 内野さんの隣には弥生の神様がいて、廊下ですれ違った着物の残像と同じ色の着物をまとった小さな女の子、この子がたぶん「しずちゃん」だろうけど彼女はなぜか澄子さんの千早をかぶって澄子さんの背後に隠れていた。内野さんと一緒にいた男の人はニコニコと笑っているのに、とても怖い感じがする。

……一体、なにがあったのかしら。まったく想像が出来なくて、私は竜神様を見上げた。だけど、竜神様もどうやらあまり状況を把握されていらっしゃらないようだった。

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