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花のない花祭り  2   




 たくさんの穀物を持ってジーリアから皇太子一行が到着したのは、新年の三日前のことだった。到着を待ちわびていたカリョナは知らせを受けて、大急ぎでカルビエの元に飛んでいった。
「ちょっと遅すぎるんじゃない? 十日前までには戻るって言っていたじゃない」
「あれ、連絡は行かなかったのか。首尾は上々でね、あちこちで引き止められて否応なしに遅くなったんだよ」
 首尾よく物事が進んだ事は、晴れやかな彼の表情を見ても良くわかる。
「連絡は聞いていたわよ。でもいくらなんでも、三日前は遅すぎるわ。皇太子としての自覚がないんじゃないの」
 心配させられたお返しにと、アガットが嫌味を言うと呆れた表情でカルビエは背後を振り返った。侍女としてその背後に従うシルビアはカルビエのセリフを予測して先に笑う。
「カリョナに言われたくないと思わないか?」
「ふふ、そうですね」
 もっともな言葉にアガットは言い返すことができなかった。考えた末に「だってあなたは帝位の第一継承者じゃない、わたしとは立場が違うのよ」と言ってみたものの、あまり効果はなかった。
「ところでカリョナの方はどうなの」
「こっちは長期戦だからね。あの子達が大人になった頃に開校したいと思っているのだけれど。でも、議会や術使いの協会に提出するための申請書やそれに添付する論文なんかはもう書き始めているのよ」
「がんばっているじゃないか。なんだか、最近は楽しそうだな。目が生き生きとしてるよ。家出する前までは死んだような目をしていたのに」
「こんな表情の姫さまを見ていると、出奔したのは良いことだったのかもしれませんね」
「僕もそう思うけど、認めたわけじゃないんだからな。今度からはちゃんと行き先を言ってから行くように」
「はいはい、わかりました。そろそろ、行かなきゃいけない時間じゃないの? 引き止めて悪かったわ」
 どうあがいても、劣勢であることに変わりはないらしい。アガットはうんざりして、話を切り上げた。しかし、こんなに忙しく働いているというのに、以前のように具合が悪くなったり、眠れなくなりそうな嫌な感じはしない。それでも、年の変わり目に山のようにある行事は頭痛の種で、アガットはどうやって逃げようかと算段しながら、自分の部屋へ戻った。


 行事のいくつかはあわよくば休む事ができないだろうかと考えていたアガットであったが、術使いの学校を承認してもらうために顔を売っておく必要があり、今年の行事はどう考えても、休む事はできそうになかった。
 数年ぶりにまじめに参加したアガットは、ようやく半分ほどの行事が終わった頃にはもうぐったりと疲れてしまっていた。
「体力はあるつもりだったんだけどなぁ」
「いや、体力は関係ないと思うね。人に見られなれてないと、ひどく疲れるものだよ。まあ、仕方がない。少しずつ慣れるんだね」
 次の仕事はラピスの大通りを往復するパレードだった。昼食をはさむため、開始時間までに僅かに休憩できる時間がある。アガットは疲れを癒すべくだらしなくソファに横になりため息をついた。
「慣れたいとも思わないけどね」
「そういうわけにはいかないだろう。カリョナは、学校の代表者になるんだから、否応なしに人目に晒される事になるよ」
「そっか。そうよね……」
「それに、今回は特別だよ。カリョナが普段は出てこないから余計に注目されるんだ」
 大きなため息をついて、アガットは瞳を閉じた。パレードは見られる相手が身分の高い者でない分まだ気分が楽である。
「カルビエ、ごめん。ちょっとだけ寝てもいいかな」
 どうぞ、とカルビエが静かに部屋を出て行くのを耳で感じながら、アガットはゆっくりと眠りに落ちていった。

 控え室になっている一室の大部屋には、皇帝と皇妃もやって来ていた。彼らは彼らのために用意された個室ではなく、共用の空間でお茶を飲んでくつろいでいた。
「ご一緒してもよろしいですか」
 二人がそれぞれに頷くのを確認して、カルビエはソファに腰を下ろした。
「面白い事をしているようだな」
 どうやって父に話を切り出そうかと考えていたカルビエは、はじかれたように顔を上げた。普段から仏頂面であるが、怒っているような気配は感じられない。
「性急に事を運びすぎると命取りになるぞ。慎重にな」
 それ以上の会話は許されそうになく、カルビエは「はい」と答えるのが精一杯であった。皇帝は威圧感があり超えられない高い山のようにすら感じられ、血のつながった父親であるのに、会うこと、話すことに緊張を強いられる。その皇帝に自分がしている事を反対されていないと知って、カルビエはほっと胸を撫で下ろした。
 その時、不意に廊下が騒がしくなった。数人の警備兵が部屋に飛び込んでくる。
「何事だ」
 短く問う皇帝に、警備兵は姿勢を正して敬礼をした。
「パレードに使用する予定であった馬車から異常が発見されました。確認のため開始時刻を遅らせていただいてもよろしいでしょうか」
「構わん。どのような異常だ」
「車軸の工作に加え、サエラ様の検査後、馬が……尋常でなく興奮しだしまして」
「場合によっては行事自体を中止してもかまわん。調査は迅速に」
 来た時の同じように警備兵があわただしく出て行く。部屋の周囲は先ほどまでよりも厳しい警備体制をしかれたようだった。
 カルビエの胸に先ほど皇帝に言われたばかりの言葉が浮かび上がる。あれは、何かを知っていた父からの警告だったのか。皇帝の様子を盗み見るが、事態の変化に注意を向けてしまった皇帝は息子の不安には気がつかなかった。
「緊急事態だから早く来いと師匠に呼ばれたので行ってきます」
 先ほど出てきたばかりの部屋からアガットが飛び出して来た。アガットが走り去る足音とともに、城全体の空気はたちまち張り詰めていった。

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