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花のない花祭り  1   




 アガットがサエラを倉庫に連れて来たのは、カルビエが旅立ってから少し過ぎた頃だった。セルマに挨拶を済ませたサエラが振り向くと、子供達はカリョナの背中や、お互いの陰に隠れるようにしてサエラを窺っている。
「……なんで怯えるかな」
「やっぱり師匠が怖いんじゃないですか?」
 サエラがそうするのは単なる癖ではあるが、初対面の大柄な女が腕を組んで仁王立ちしていれば、子供達が恐怖を感じるのも無理はない。年長のエリィも平気な振りをしているが、少し怖がっている様子である。
「みんな、怖がらなくても大丈夫よ。この人は、この間話したわたしのお師匠様よ」
「なんか、しゃべり方とかが姉ちゃんにそっくりだよな」
 リヴはそれほど怖がるそぶりを見せず、アガットの目を見ていたずらっぽく、にやりと笑う。
「わたし、こんなに怖そう?」
 サエラがちらりとアガットに視線を走らせる。リヴの横でエリィが勢いよく首を振った。
「普段は全然そんなことないよ。でも、ヒース達と喧嘩してる時はちょっと怖いかも」
 ヒースの名前が出ると、倉庫の中が一瞬静まり返った。ヒースと、彼の弟分二人は、倉庫を出て行ってしまった。いつも一緒にすごしていた相手がいなくなるのは子供達には少し寂しいことだった。
「喧嘩? お前は一体何をしてるんだ」
「喧嘩なんかじゃないわ。実践よ、実践」
 術使いが正式に弟子を取れるのは、術使いとして協会に登録した後に、ある一定以上の経験を積んだ後だ。アガットは年数が満たず、教えることはできても倉庫の子供達を正式に弟子とすることができない。一定の技術を得た後、術使いとして協会に登録するには、経験年数の多い術使いが師匠として必要であった。
 アガットは学校を作りたいという夢を子供達に伝えたが、子供達に何らかの形でそれに関わって欲しいと考えている事はまだ話していなかった。話すのは、彼らが成長し、また力の制御が行えるようになってからにしようと考えたからだ。
 サエラを倉庫に呼んだのは、授業法の共同研究者として。そして同時に、彼らの主な教育者はアガットであっても、サエラの弟子ということにしておけば、一定水準の能力を得た時にすぐに協会への登録が可能となるからだ。
「まあ、今は喧嘩っ早い子はいなくなっちゃったけどね」
「ヒースにリオルにジン、今頃何してるかな」
 出て行った者の話をするとセルマが怖い顔をするため、子供達はひそひそ声で話をする。倉庫は音が反響しやすい上に、子供の小声は小さくないために、セルマにはよく聞こえていたのだろう。セルマはちらりと顔を上げたが何も言わずに、いつもの定位置から窓の外に顔を向けた。


 サエラは、久しぶりに小さな子供を教えたのが楽しかったようである。アガットが頼んだ以上に倉庫に足を運ぶようになり、かつて幼かったカリョナが懐いたように、サエラのさばさばとした性格を子供達は気に入ったようだった。
 サエラが教えている間、アガットは補佐につくかその傍で何かしら書き物をしていた。
「姉ちゃん何してるんだ?」
 休憩時間になったのだろう。リヴが帳面に細かい文字を書いているアガットの手元を覗き込む。アガットと出会ったばかりのリヴは倉庫の子供達との能力差は大きかったが、一緒に行動するようになってからはすぐに追いついてしまった。アガットの帳面にはリヴの変化が特に記されている。
「ちょっとは読めるようになったんだぞ。えーっと」
 商家の多いラピスでは、識字率は高い。文字や数字を読み書きできると仕事の効率があがる。そのため、多くの家では子供を学校にやるからだ。倉庫の子供達は、術を制御できるようになれば、普通の人と一緒に仕事だってすることができる。子供達に多くの可能性を見せたくて、アガットとサエラは術だけでなく読み書きや計算も教えるようにしていた。
「いっつも難しそうなこと書いてるな」
 アガットがこのところ取り組んでいたのは、術使いの師弟制度と集団教育についての論文の下書きだった。例としてリヴの事が多く記されているのだが、まだ習っていない難解な言葉ばかりが並んでいるのを見て、リヴは解読をあきらめたようだった。
「そうね。専門の言葉を多く使っているから難しいかもしれない。これはね、術使いの学校を作ったらどんな良いことがありますよ、だから学校作るのに協力してねってってお願いするための、うーん、なんて言ったらいいのかな。えーと、お手紙なの。国やお役所はこういう難解な文章が大好きなのよ。まあ、こういうのは、別に無理にできるようにならなくても、得意な人が書いたらいいのよ」
「ナンカイ、ねぇ」
 リヴは興味なさそうにつぶやき、仲間のところに駆け戻って行った。


  ☆  ☆  ☆


 忙しく働いているとあっという間に季節は変わった。時折海の方から吹く強い風に寒さが混じる。
「カルビエさま、こちらの書類はどうしましょう?」
 執務机の主は手を止めて、傍らにやってきたシルビアを見上げた。
「……疲れたなぁ。気分転換したい。シルビア、散歩に付き合ってくれないか」
「もう少しなさった方がよろしいのでは? ラピスに戻る日まであと少しですよ」
 カルビエは彼に似合わぬ奇声をあげて、机の上に突っ伏してしまう。シルビアが黙って見守っていると無言で起き上がり、首と肩をまわしてぼきぼきと鳴らし、再びペンを取る。花祭りまでという期限を切ってしまったばかりに必要以上に多忙な日々が続いている。その顔には疲れがにじみ出ていて、シルビアは思わずもう休めと言ってしまいそうになった。
「ほんの少しならば、お付き合いしますよ。その後の仕事の効率が上がるのならば」
 前例のない仕事は、いくら片付けても終わりが見えない。そのため、散歩に多くの時間を割くことはできない。最近、カルビエの補佐役としてスケジュール管理を任されているシルビアは、頭の中で仕事の量と現在の進行具合を整理し、精一杯の妥協点を提案する。カルビエは子供のような笑みを浮かべた。
「新年を過ぎれば、休める日もできますよ。あと一息です」
 まるで母親のように、寒くなってきたからしっかりと防寒をしてください。でないと体調を崩してしまいますよなどと身支度を手伝い、自分も手早く支度をすると、シルビアとカルビエは連れ立って門を後にした。
 皇太子領、ジーリアは小さなラピスと呼ばれており、街の造りはとてもよく似ている。領主の館は小高い丘の上にあり、港までまっすぐに大通りが貫いている。その両側に商店が並び、街の中心部となっている。
 領主の館の前に作られた広場から、港がよく見える。帆をたたんだ大きな帆船が一隻、停泊しているのがわかる。カルビエがジーリアについてから二隻目のサザローズの船だった。サザローズから穀物を輸入し、クリエーナの名産である蜂蜜を輸出する。そして、仕入れた穀物を他の領地に売る。たったこれだけの事にとんでもない労力を必要とする。これが軌道に乗れば、次第に取引の品数も増えていくに違いない。
「クリエーナの蜂蜜が、他国にとって魅力のある品で助かったよ」
「そうですね、穀物を輸入するためのお金を捻出するところから始めていてはまだ手探り状態でしたでしょうし。この点から見ても、花祭りはクリエーナにとってとても大切なものですね」
 花祭りに使用するための花畑を有効に活用するために、養蜂が盛んになったのだ。花の種類、蜂の種類によって蜂蜜の味は変わる。クリエーナの蜂蜜屋で蜂蜜を買う時は、まるで八百屋か魚屋で買い物をするように蜂蜜の種類を選ぶのだ。それが他国には特に珍しいようだった。また、蜂の巣を食べたりする習慣にも興味を持ってもらえたようだった。
「港まで降りて、戻ってきたらまた仕事をするから。行こうか」
 ラピスでは寂れてしまっている港が、ジーリアでは活気づいている。ラピスとジーリアの造りが似ていれば似ているほどその差がよくわかり、カルビエは自分の仕事の成果を実感することができた。
「皇太子殿下!」
 細かい打ち合わせや、船の様子、品物の様子を頻繁に見に来るため、カルビエの顔は港に知れている。カルビエを呼ぶジーリアの民の顔には笑顔がある。それはカルビエをもっとも力づけるものだ。手を挙げて応えていると、港の管理者がカルビエの来訪を聞きつけて走り出してきた。
「殿下、今日はどういったご用件で?」
「今日は散歩。ちょっと息抜きに」
「新鮮な魚が入ってるんですよ。うちの嫁にすぐ料理させますから、食べていきませんか」
「この間、食べさせてもらった魚はうまかったな。でも、今日はもう戻らなきゃいけないんだよ」
「じゃあ、包みますから持って帰ってください」
 カルビエが返事をする前に建物に男は走っていく。すぐさま建物から彼の奥さんと思しき怒鳴り声が漏れ聞こえる。
「あんた、馬鹿じゃないのかい! 魚だって軽くはないんだよ。殿下にそんなものを持たせるなんてとんでもない。あんたが館まで届ければいいじゃないか!」
 カルビエとシルビアは顔を見合わせてくすりと笑う。小さなラピスと呼ばれていても、首都から遠く離れたこの土地はやはり田舎で、そこで暮らす人々はとても素朴で優しい。決してラピスの住民が優しくないというわけではないが、堅苦しさのない親しみのある反応は、ラピスではあまり見ることができないものだ。
「すいません、お待たせしました」
 予想以上にたくさんの魚介類の入ったかごを持って戻ってきた男は、「行きましょうか」と先頭に立って歩き出す。先ほどの奥さんの声を聞いてしまった二人は、素直にその後について行く事にした。
 港で働くものたちは、重労働であろうに笑顔が絶えず、生き生きとしている。それは、サザローズの帆船がついてから徐々に見られるようになったものだ。ジーリアでの仕事は今のところ、なんとかうまくいっている。後の仕事はラピスに戻る途中で、この事実を周囲にどう印象付けるかだ。最初の山場である新年は、もうそこまで近づいてきていた。

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