未来への道標 3 ヒースが、地面にしゃがみこんで仕掛けを作っているのを、同じ年頃の少年二人が不安そうに見つめている。 「なあ、ヒース、やっぱりやめた方が……」 そのうちの背の小さい方が声をかけたがヒースに睨まれて口をつぐんだ。この所、ヒースはずっと機嫌が悪い。 「お前らだけはあの女にゆうわくされなかったから、根性あるって認めてやったのに」 「そうじゃなくて……セルマはだめだって」 少年は小さく反論したがヒースは聞こうとはしなかった。やりすぎると、街の住民たちに目をつぶってもらえなくなる、といつだったかセルマは言っていたのに。 「セルマもあの女にゆうわくされてるんだ」 まったく、とヒースは地面をいじりながら悪態をつく。 「あんなに術使いを嫌ってたくせに、懐きやがって」 このところのヒースの不機嫌の原因はそれである。アガットが顔を出すようになってから、ヒースはずっと機嫌が悪いのである。 少年二人は顔を見合わせた。 「だってあの人やさしいもんなぁ。なんでかこんなとこ来て色々教えてくれるし、術使いって案外悪いやつじゃないかも」 「これでよし、と。あとはかかるのを待つだけだ」 小声でひそひそと交わされる背後の会話を聞こえていない振りをして、ヒースは立ち上がり手についた土を払った。 「――お前らだって腹が空いてんだろ? セルマが許す分だけじゃ、飢えはしないけどまともに食べられないじゃねぇか」 「それはそうだけど……だから街や山に食べ物探しに行くんだろ」 「うまくやればセルマだって認めてくれるさ」 帰ろうぜ、と後ろの二人を手で招く。 ヒースの張った罠に獲物がかかったのはその日の夕方のことだった。 近道をするために細い路地に入った男は、不意に何かに右足をつかまれた。危うく転げそうになったところを体勢を立て直して何が原因だったのか、と足元を振り返る。 「何だァ?」 足首は確かに何かにつかまれているような感覚があるというのに、目には自分の足以外は映っていない。 「こざかしい」 地面に縫いつけられた右足にぐ、と力を込めるとふくらはぎの筋肉が浮きあがった。骨がミシリと音を立てそうなほど力を込めて足を地面から引き離す。 「喧嘩なら買ってやる。出てこい」 右足に集中しながらも、こちらを伺う複数の気配には気がついていた。 ぐるりと周りを見渡す。感じる気配は若い。けれども男は、用心深くあたりを伺う。 「……出てこい」 建物の影から、もめるようにひそひそした小声でやり取りする声がする。そして突き飛ばされるようによろけて姿を見せた子供に、男は拍子抜けした。 「子供?」 想像していたよりも幼い。 「ごめんなさいっ。で、でも、やったのはぼくじゃないよ」 男と目が合い、怯えたように少年は身を引いた。 「ヒ、ヒースだよ」 問われる前に、男から感じられる威圧感に怯えた少年が口を滑らせると、どこからか「喋るなバカ!」と怒鳴り声が降ってきた。 「だってヒースが悪いんじゃないか。セルマ兄ちゃんはダメだって言ったのに」 「獲物がかかったって言ったら喜んでついてきたのはお前らじゃねぇか」 「怒んねぇからさ、とりあえず出てこい」 おずおずと姿を見せた子供は全部で3人。呆れて男は息を吐いた。彼は驚いていた。てっきり青年ほどの年頃だと思っていたのだ。そして1つの可能性に思い当たった。この魔物憑きの子供達、もしかすると。 「お前ら、レスターの知り合いか?」 「おまえは何者だ。なんでレスター姉ちゃんを知ってる」 「レスターは俺の仲間だ。術者として働いてもらっている。レスターはお前達を誘いに行っただろう?」 「セルマが追い出した」 ヒースが機嫌の悪い声で答える。 「お姉ちゃんが来てもおにいちゃんがだめだって言って話も聞かずに帰しちゃうんだよ」 話を聞いてどうりで戻って来るたびにレスターが沈んでいるはずだと男は納得する。男がレスターから聞いた『セルマ』は彼女に優しいはずなのだ。 「お前ら、たくさんご飯が食べたいと思わないか?」 「いっつも思ってるよ」 「思わないわけないじゃんか」 そうだろうな、と男は相槌を打つ。 「食えねぇ理由は知ってるか?」 「そんなの、僕たちが魔物憑きだからだ」 子供たちの表情がたちまち曇る。彼らは親から、そして街から疎まれてここにいる。おなかが減って、どんなに苦しくて、いっそ死んだほうがましだと思っても彼らが死ねないのは魔物憑きだからだ。彼らを好く精霊が、ぎりぎりのところで彼らを死なせない。 「まぁ、それもあるだろうな。だが、もっと根本的な問題だ。この国は住民全員に十分に当たるほど食べ物がないんだよ。なのに皇帝はよその国から食べ物を買おうとしない。俺たちはよその国から食べ物を買ってもらうために動いている。だけどそれには力がいるかもしれないんだ。お前らの力を貸してくれないか? 俺達の組織は、術者を探している。お前達の能力を十分に発揮できるはずだ。来ないか?」 ヒースの表情がほんの少し動く。 「そしたらもうお腹すかない?」 ヒースの弟分達の問いかけに男は頷く。 「手伝っていいことしたら魔物憑きって呼ばれない?」 「そうなるように努力しよう。後ろの少年も、どうだ? 自分の力を試せる場所が欲しくないか」 自分の力を試せる場所が欲しくないか、この一言はヒースの心を巧みにくすぐった。 「セルマ!」 街を歩いていたセルマは呼び止められるのに気がつき、少し顔を上げたがそのまま気がつかない振りをして通り過ぎた。 「無視するなんてひどいじゃない。聞こえたくせに」 しかたなく、といった風情を隠そうともせずにセルマは振り返る。 「何の用だ」 「用がなくちゃ話しかけちゃだめなの?」 セルマは再び歩き出した。今はあまり彼女には関わりたくなかったからだ。 「待ってよぉ。あたし、これから皇太子領に行くんだ。当分会えないんだよ?」 「遠いからな、オレはここを離れない。お前が離れるなら会えないだろうな」 セルマの目が、お前が決めた事だろう? とレスターに告げている。 「そ、……だね」 うるんだ瞳を見せまいと背を向けたレスターの小さな背中を見たセルマは衝動的にその背中を抱いた。前に抱き寄せたのはレスターが出て行く前。もうずいぶんと昔の事だ。その頃よりも、レスターの背中が痩せたのを否応なしにセルマは体感した。 「止めてもどうせお前は行くんだろ? 俺に一緒に来いと言うことはあってもここに残る事はないんだろ?」 レスターが返事をする前に、背中のぬくもりは離れた。慌ててレスターは立ち去る後ろ姿に声をかける。 「セルマも手伝ってよ」 「……それはできない」 思わず抱き寄せた事を後悔しながら大股で立ち去るセルマの背中を、レスターは小走りに追いかける。 「どうしてよ。だってヒースたちが仲間になるの許したんじゃない!」 その言葉にセルマの足は止まり、レスターはその背中にぶつかった。 「きゃっ」 振り返ったセルマに強く腕をつかまれてレスターは怯えた。 「……わりぃ」 おびえる瞳にセルマは我に返って手を外し再び背を向ける。体の横で握り締めた手が声を低くする。 「いつの間に? 許してなんかない。……お前、仲間に引き入れたんなら当然あいつらのこと守れるんだな?」 「そんなのわかんないよ。同じ仕事するかだってわかんないもの」 「だったら、手なんて出させるんじゃねぇっ……守れもしないのに危険に首突っ込ませるな」 力が足りない。役に立てない。守れないからそばにいたくない。セルマは自分がどの程度精霊に好かれているか、知っている。どんなに努力しても、精霊に好かれただけの力量しか得られないというのに。いつだって、レスターに劣る能力を悔しく思っていた。 「だって、必要とされたらうれしいじゃない。こんなあたしでも人の役に立てるなんて思いもしなかったの」 背中に響くレスターの声が追い討ちをかける。倉庫に戻ったセルマは、かつてレスターが古くなった服を継いで作った大きな布団にもぐりこんで目をつぶった。 「お兄ちゃん、どうしたの? 寒い?」 自分達の保護者が普段見せない行動に心配した子供達が寄ってくる。 「寒いの?」 「だいじょぶ?」 「かぜ、引いた?」 子供たちは口々に心配そうに声をかけてくる。その後ろに、ヒースとその弟分二人も寄ってきたのを見て、セルマは起き上がった。 「ヒース、リオル、ジン、危なくなったらちゃんと逃げろよ。特にヒース。自分の力を過信して、無茶をするんじゃないぞ」 彼らが目を見張るのを見て苦笑する。いまここにいる子供を拾ってきたのは半分はセルマだ。まだ赤ん坊の頃にごみ捨て場や橋の下に捨てられた子供もいたし、町の隅で力を暴走させながら泣いていた子供もいた。ヒースは違うが、リオルとジンはセルマが連れてきた。年齢差は親子ほどないにしろ、親のような気持ちになる事もある。倉庫に新しい風を吹き込んだあの術使いの言うとおり、少し過保護であるのかもしれない。 「何で知ってるんだ」 「俺にわからない事なんてあるかよ」 明るい声でセルマは言ったが気分は重く沈んだままだった。たった一人、ここに残されて自分はどうすればいいだろう。傍観者を決め込んだつもりになっているが、自分だけがここから動けずに、立ち止まったままでいる。 「俺は……ここで暮らしていければよかったんだけどな」 レスターと、自分と、子供たち。たまには力が安定しない子供が誰か暴走したりして、おなかは減っても楽しく暮らして……誰にも聞こえないほど小さく呟いて、セルマは再び横になった。布団からは安心できる温かい香りがした。 |