目次

未来への道標  2   




 横目でちらりとアガットを見ながら、カルビエが切り出した。
「皇太子領に移動するには、問題があと一つ。皇太子は成人したら、皇太子領に移動することになっている。僕の移動が遅れているのは」
「わかってるわよ。わたしのせいだって言うんでしょ」
 カルビエの言葉をアガットはさえぎる。三人の視線から逃れるように、アガットは暗い窓の外に視線を逃がした。
「ねえ、どうしても戻らなきゃいけない? わたしは、そのまま留学することにしてもらえないかな」
 サエラの手がアガットの両頬に伸びる。窓の外に逃げた視線を強引に自分に向かせ、サエラは弟子の瞳を覗き込む。
「お前は、いったい何がしたいんだい? 今度は逃げるのは許さないよ。まったく、相談の一つもしないとは、どういう育てられ方をしたんだろうね」
「わたし……」
 ごくりとつばを飲み込んで、アガットは師匠の手を振りほどく。そして、ソファから立ち上がると体の脇で強くこぶしをにぎった。
「出て行ったときは、正直にいえばやりたいことなんてなかった。でも、ここを出てから、わたしは魔物憑きの子供達に出会ったの。そうして、やりたいことを見つけた。あのね、術使いと魔物憑きの子供達のための学校を作りたいの」
「だったら、皇女の立場は捨てるべきじゃない。とっとと戻ってくることだね」
「どうして」
「まったく、詰めが甘い。私が育てたはずなのにどうしてこんなに甘いんだろうね。いいかい、魔物憑きの子供達はどうして魔物憑きになる?」
「色々あるけど、大体はお金がなくて、弟子入りができないから」
「それなら、学校をつくって、生徒は学費を払えるのかい」
 アガットはそっと首を振る。
「どうやって学校を経営するつもりなんだ」
 就学後に援助元での一定期間の就労義務を与える事での就学支援などを考えてはいたがそのための人脈などはなく、資金についてはもっとも大きな悩み事だった。学校を運営するにはどうしても多額の資金が必要だ。
「利用できるものはなんでも利用しろと教えただろう。お前の地位や立場も十分に利用価値がある。いいかい、地道に努力をして、術使いの養成校の有用性を実証できれば、国はお金を出すだろうし、貴族たちからの支援も受けられるだろう。同じ道を歩むにしても、一介の術使いよりは皇女のほうがそこまでの道のりは短くて済むし動くものも大きくなる」
「それはそうだけど」
「養成学校を作ることは私も考えたことがある。実際に何か働きかけようとしたことなどはないがね。その頃集めたものに使える資料はまだあるし、私も術使いに関してはそこそこ影響力はあるつもりだ。協力できる。子供達のところへは、ここから通えばいい。さあ、あとは何が問題だ?」
 アガットは首を横に振るしかなかった。
「弟子も取った事がないくせに、術使いの修行が集団の方が向いていることにもう気がついたのか。さすが私の愛弟子だ」
 サエラの不敵の笑みにアガットの緊張がゆるゆると解ける。
「もう、いい時間だ。話し合いは今日のところは一件落着、というところでいいな」
 いつの間にか進行役となったサエラが場をまとめる。
「詳しい話し合いはまた明日以降にしよう。カリョナ、もう遅いから今日は泊まって行きなさい」
「はい」
 気がつけば、いつもならば休む支度を始める時間になっている。皇妃とサエラは連れ立って部屋を出て行き、その後すぐにカルビエも立ち去った。
 シルビアはアガットが泊まるための準備に忙しく動き出し、アガットもシルビアを手伝うために動き出した。




「姫さま、お迎えにあがりました」
「大した荷物もないから構わないといったのに。本当に来たの?」
 アガットの気が変わってしまう事を恐れるように、シルビアは約束より早い時間に宿にやって来た。アガットの言うとおり、少ない量の荷物が扉の近くに一つ置かれているだけで、あとは宿の備品しかない。
「姫さまが戻られるのがうれしくて」
 シルビアが早く迎えに来ることを予測していつでも出発ができるようにしていたアガットは、予想が当たった事に小さく笑った。
「心配しなくてもちゃんと帰るわよ。でもね、帰る前に寄りたい所があるの。付き合ってくれる?」
 リヴとメリエムには昨夜のうちに話せる範囲ではあるが、事情は話しておいた。だから別れは再開を約束した簡単なものとなった。
 宿を出て大通りを渡る。いくつかの角を曲がって裏通りの一軒の酒場の前に来ると、アガットはシルビアに先に入るように促した。
「ダグ、虎呂! 本当に?」
 シルビアが、驚きの混じった小さな悲鳴を上げる。仕事用の話し方ではなく、素のシルビアの声を聞いたのは久しぶりだな、と思いながらアガットも後に続いて酒場に足を踏み入れた。
「早いのね。わたし達の方があんた達を待つかと思っていたのに」
 二人の前には空っぽのお皿とカップが二つ。とっくに到着して待ちわびていたらしい背の高い二人組が、シルビアとアガットの顔を交互に見比べている。
「こんな良い話を聞いておいて、のんびり寝坊なんてできるもんか」
「それにしても、懐かしい。さすがに、この年になると小さいときほど似てはないんだね」
「顔見知り程度なら見間違えそうだがな」
 シルビアとアガットは果実水を注文し、二人と同じ席につく。
「もう、10年にもなるのか。元気だったか」
「おかげさまで。もう一度会えるなんて思ってもみなかった。二人は?」
「見たままだよ。元気さ」
 まるで娘か、かわいくて仕方のない妹でも見るように、ダグラスは目を細める。虎呂は手を伸ばしてシルビアの赤銅の髪を撫でた。ずっと昔から変わらない彼の癖にシルビアもうれしそうに微笑んだ。
 果実水が運ばれてくる。積もる話もたくさんあっただろうに、シルビアと男二人は視線を交わしはしたが、言葉はほとんど交わさなかった。アガットは、三人の間で言葉では表現しきれない思いが伝わり、空白の時間を埋めていっているように感じられた。
 ゆるゆると時間は埋まり、時間軸がようやく現在に戻ってきた。
「シルビア、お姫様から聞いたよ。君はやっぱりレイリョウの娘なんだね」
「どういう意味?」
「そうか、お前はまだ幼くて知らなかったのか」
 ダグラスの目がふいに遠くになる。昔を思い出すように遠くを見たまま、口を開く。
「あの店は、僕らの活動の本部だったんだよ。レイリョウは積極的に僕らを支えてくれていた。僕たちとシルビアが最後に会った日。ああいう事件はお姫様が遊びに来なくたっていつだって起こりえた事で、レイリョウは覚悟をしていたんだ。この事はいつかシルビアに伝えなきゃならないと思っていた。最も、君達二人は非常に仲がよさそうだし、その必要はなかったみたいだけど」
「シルビア、お前はあのレイリョウの娘なんだ。大丈夫、なんだってやり遂げる事ができるさ。だから、最後まであきらめずに戦え。俺達も力が及ぶ限り協力を惜しまない」
 シルビアは、アガットを振り返る。アガットはそれに笑顔で応える。
「こんな風に言ってもらうと、何もかもが上手く行くって、そう思わない?」
 アガットは二人に再会したときに、いつかシルビアに会わせてあげたいと思った。その時に想像していた以上に、シルビアは喜んでくれている。
「はい。迷ったり、立ち止まっている時に人と会うと、どんどん物事が進んでいくんです。なんだか何かに導かれるみたいに。不思議な感じがします。こういうとき、ああ、私達は人に支えられて生きているのだなと思います」
 ダグラスがまた目を細める。
「わたし達、そろそろ行かないと。ダグ、虎呂。昨夜話したことは協力してもらえると思っていいのね?」
 それも、カルビエ達との話し合いの時に決めた事だった。皇太子領からの噂や情報を広める役を彼らにも担ってもらおうというのだ。中からはカルビエとサエラが攻め、外からはダグラスや虎呂の組織が攻める。陣取りゲームのように周りを囲んでしまえば、勝機が見えるかもしれない。
「任せな。俺達の組織力をなめるなよ。だてに時間をかけてきたわけじゃないんだ」
 二人の娘が何度も振り返りながら、大通りへ向かっていくのを、ダグラスと虎呂は肩を並べて見送った。
「なあ、ダグラス」
 角を曲がってしまい、二人の姿が見えなくなった頃、虎呂はぽつりと切り出した。何? とダグラスは相棒を振り返る。
「あのお姫さんに出会ってからだ。ずっと留まったまま動かなかった事が坂でも下るみたいに一気に進みだした。俺は迷信なんか信じちゃいないけど、割れ子にはそういう力があるんだろうか。もし、そうだとしたら、その勢いというのか力というのか。それを扱いきれなかった時に悲劇が起こって、あんな言い伝えができたんじゃないだろうか」
「さあ、どうだろうね。僕は割れ子だからとかじゃなくって、人のめぐり合わせだと思っているけどね。会うべき人に出会うと、物事は動くんだと僕は思うよ。良いほうか、悪い方かはわかんないけどね。僕達にとって出会うべき人がお姫様だったって事じゃないかな。ああ、違うかもしれない。シルビアとお姫様が出会う事が、きっかけだったんだよ、きっと」
 二人はしばらく名残惜しそうに路地を見つめていたが、やがて役割を果たすために動き出した。



 皇妃の働きで、サザローズと皇太子領の取引が約束された後、カルビエはラピスから皇太子領に向けて旅立った。シルビアは、カルビエの侍女としてその旅に同行した。
 旅立ちの日、面会の約束を取り付けることができないままカルビエは皇帝の執務室を訪ねた。案の定目的の人物と面会する事はかなわず、その足で皇妃の部屋へと顔を出した。
「父上は、お怒りなのでしょうか」
「なぜそう思うの」
 不安に駆られた心からこぼれ落ちた問いかけに、イザベラは皇妃の表情で応える。
 皇帝は多忙だ。息子といえども何日も会わない日があることのほうが普通であった。けれども、皇太子領での計画を立て始めた頃から今日まで、カルビエは不自然なほどに皇帝に会っていない。
「いいえ、私の思い過ごしだと思います」
 提出した全ての書類は認可され、皇妃も計画に関わっている。少なくとも、あからさまな反対はされていないと思っていいだろう。
「陛下のお考えは、わたくしから伝える事はできません。けれども一つだけ言えることはあります。陛下はサザローズの姫であったわたくしをこの国に迎え入れた人なのですよ」
 それは、この計画に賛成しているとほのめかしてくれているのだろうか。カルビエは皇妃の表情を読み取ろうとする。
「皇太子領はラピスよりも早く季節が巡るのでしょう? 体を壊さないように気をつけなさい」
 そういってそっと息子の肩を抱くイザベラの顔からは皇妃としての表情は消え去り、もう母親としての表情しか見ることはできなかった。

 旅の間、カルビエはこのやり取りを何度も繰り返し思い出した。計画が上手くいったとして、最後の大きな壁は皇帝だ。皇帝の意向がわかっていれば、少しでも安心する事ができるに違いないのに。

目次