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未来への道標  1   




 再会するなり、幼い子供が感情に任せてするように頭を叩かれて、アガットは恨めしそうにカルビエを見上げた。
「痛いなぁ、何するのよ」
「馬鹿、心配したんだぞ」
 返事をする暇を与えず、カルビエは言葉を継ぐ。
「一言相談してくれれば、加羅に留学したとか色々、ここにいなくてもいい理由を作ってやれた」
「作ってやれたって何よ」
 兄弟だろうが、運命だろうが、誰かの掌の上で踊るなんてもう嫌よ! 怒鳴り散らそうとしたが、シルビアがじっと自分を見つめているのに気がついてアガットは口をつぐんだ。いつだって落ち着いて見えるシルビアの前では、感情的になる事は妙に気恥ずかしく感じられる。
「ごめん、喧嘩するために戻って来たんじゃなかったのに」
「アガットは、ものすごくわがままなくせに肝心なところで我慢してしまうんだよな」
 我慢するために言葉を飲み込もうとすることに失敗して、アガットはカルビエを睨み付けた。
「いつも、いつも偉そうに。カルビエ、あんたはいつだって余裕そうよね。何様のつもり」
「姫さま」
「余裕があったら手をあげるなんてリスクが高いだけの馬鹿な真似するものか。それだけ心配かけたって気がつけよ。何様だって? 姉弟に決まってるじゃないか。それも二人で一人の人間になるはずだった割れ子だ。カリョナだけが言い伝えに怯えていると思うな。余裕そうに見せるためにどれだけ神経使ってると思っているんだ」
 シルビアがおろおろと二人の顔を見比べる。
「あの」
「いいんだ。止めるな」
「カルビエ様」
「ねえ、カリョナ。僕だって怖いんだよ。だけど、互いに信じて、協力することでお互いに足りない部分を補え合えるだろう。僕達にはそれができるって信じているよ。だって、カリョナは現にこうして帰ってきてくれたじゃないか」
 大きなため息をついて、アガットはソファに背中を沈めた。カルビエの言葉はそのままカリョナの胸のうちにある言葉だ。二人の気持ちは、根っこの部分ではまったく一緒だと確信できる。アガットはそのまま目を閉じて、悔しそうにうなり声を上げていたが、次に目を開いた時には、傍目にはすっかりと落ち着いているように見えた。
「まったく、あんたにはかなわないわ。時間を無駄にしちゃったわね。本題に入りましょう」
 このまま喧嘩を続けて、互いの気持ちを確認するのもいい。けれども、今日は時間が惜しかった。
「今日はドリュがラピスにきた事を歓迎する夜会があったのよね。時間的にはそろそろお開きだとは思うけど、抜け出しても大丈夫だったの?」
「ああ、もう終わったから。そうだ、シルビア。さっきは真っ青な顔をしていたけど、大丈夫なの?」
 カルビエは、心配そうにシルビアの顔を覗き込んだ。シルビアはその瞳を一瞬受け止め、しかし俯いて逸らした。
「心配かけて申し訳ありません。……もう一つ謝らなくてはならない事があります。夜会を途中で抜けたのは慣れない場とダンスに疲れてしまったからではないのです」
 最初はシルビアが夜会であった出来事を。次にアガットが組織の話をすると、カルビエは難しい顔をして黙り込み、目を閉じて腕を固く組んだ。
「僕がそう遠くない将来に父上から帝位を継ぎ、自分の子供に帝位を譲るまでに解決すべき一番大きな課題だと思っていた。何十年も続いてきたものを、急に変えることは難しいと思ったからだ」
「だけど、もう、歯車は動き出してしまった。国の一番大きな歯車が動き出したのだもの、止める事は難しいでしょうね。だとしたら、わたしたちがしなくてはいけない一番の事は、できるかぎり円滑にものごとが進むように取り計らう事。つまり、中央のさびて固まってしまった小さな歯車を無理やりではなくて、油をさすなり磨くなりして動かす事だわ。まさか取り替えてしまうわけにもいかないしね」
 我ながらわかりやすい言い回しだ、とアガットは一人で満足そうに頷いた。その口の端がにやりと上がってしまう。けれどもカルビエもシルビアも気がつきもせず、固い表情で額を突き合わせている。アガットは急いで笑みをしまうとそれに加わった。
「別に、カリョナの教えてくれた彼らがそういう手段を取ろうとしているって言うわけじゃないけど、暴動のような国を荒らす強引な方法は選んでほしくない。だからと言って、良案があるわけでもない」
「カルビエは皇位の第一継承者ではあるけれど、まだ議会でそれほど発言権があるわけではないものね」
「あの」
 遠慮がちにシルビアが声をあげる。
「ずっと考えていた事があるのです。政治に詳しくない小娘が考えた事です。とんでもない提案かもしれません。それでも聞いてくださいますか」
 今はどんなに些細な提案も必要としていて、カルビエとカリョナは先を促す。
「皇太子にしかできない事が一つだけあります」
 緊張した面持ちで深呼吸をすると、シルビアは身を乗り出した。
「皇太子領の港を開く事はできませんか」
 皇位継承者に選ばれたものが皇位につくまでの間、与えられる領地がある。普段は通常と変わらず治められるその領地は、皇太子が領主である間は将来帝位についた時の練習の場として自治が認められる。
「開港して、安全に皇太子領が潤えば、議会の意見を変えやすくなると思うのです」
 どうでしょう、とシルビアは二人の顔を順に見る。
「自治領だから議会の許可はいらないものね。カルビエさえその気なら不可能ではないわ」
「それに、もしも反対されてもクリエーナには正規の軍隊はありませんし、徴兵したとしても士気は上がらないのではないでしょうか。だって、開港を望むのは徴兵される本人達ですもの。……それにそこまではなさらないかしら、と思うのです」
「面白い案だ。検討してみる価値は十分にある。だけど、検討してみる前に一つ、聞いてみたい事があったんだ。シルビアは、どうしてこの件に関わろうと思ったの。別に、僕に言うだけでも良かったんじゃないのか?」
「……この首都であるラピスでさえも、食べるものが粗末なものになっているのだと聞いています。できる事があるかもしれないのに、何もしないということはしたくなかった。だって、ひもじい思いをしていたのは私かもしれないんです。姫さまと出会わなければ、私はあちらに住んでいたでしょう。毎日生きていく事に精一杯で、どうすれば世の中を変えられるかなんて想像すらできなかったに違いありません。こうして、両側を見ることができるのは珍しい体験なのだと思います。カルビエ様は街の暮らしを詳しくご存知ないし、街の住民は政治の仕組みをよく知らない。国の民とそれを治める側がお互いの事を知らないなんて変な話だと思いませんか。だからこうして、両方を知る者がどんな小さな事でも関われる機会があるならば、関わりたかったのです。私みたいな者の意見でも、役に立つ事があるかもしれない」
 シルビアの瞳はきらきらと生気に満ちて輝いている。背筋はしゃんと伸びていて、アガットにはとてもまぶしく感じられた。静かに聞いていたカルビエの頬がゆるむ。
「ありがとう。こうして助けてくれる人がいると思うと、僕は心強いよ。これからも助けてくれるだろうか」
「私でよろしければよろこんで」
 シルビアは、今度は視線を逸らさずに微笑み返した。
 ねえ、と二人の間に割り込むようにしてアガットが声をかける。
「その計画を実行するなら、この三人だけは話が進まないわよ。議会で水を向けてくれる協力者が必要だわ。ところでカルビエはいつから領地に移動する予定になっているの?」
 カルビエとシルビアが同時に振り返り、苦い表情をする。
「皇太子領に移動する話が滞っているのは誰のせいだと思ってるんだよ」
「姫さまが家出をされなかったら今頃時期が決定していますよ」
 声をそろえた苦情に、反撃できないアガットはあさっての方向に視線を逸らし、急いで話を変えた。
「ところで、協力者は誰がふさわしいと思う?」
「最初に取引をするならば、母上の国がふさわしいとずっと考えてきたんだ。サザローズはもう数百年、他国を侵略するような事はしていない。議会が父上と母上の婚姻を認めた理由はそれが大きい。サザローズと取引をするならば、絶対に母上の協力は必要だ」
「じゃあ、まずは母上に話を通さないといけないわけね。……母上にも謝らないと」
 アガットは母にも何も言わず宮を出た。母は泣くだろうか、怒るだろうか。会うのが億劫に感じられて、アガットは小さくため息をついた。もう、戻るつもりはなかった。母親を悲しませるだろうことはわかっていたから会わずに行ったのに。
「カリョナがいない事を知っているのは、あと母上とサエラだけだ。他の人はちゃんと留学しようとしていると思ってるよ。たったの二人なんだからさっさと謝ってしまいなさい」
 その二人、特に後者が最も難関なのだとアガットが目で訴えても、カルビエもシルビアも知らない振りをしている。
「わたしが悪かったです。ごめんなさい」
「やっと謝った。最初からそう言って帰ってこれば良いのに。馬鹿だな」
「本当にそうだよ、この馬鹿弟子が!」
 女性にしては低い、凄みのある声が合いの手を打つ。驚いた三人が声がした方向を振り返ると、噂のサエラが入口に下がる布についた鈴を鳴らした。
「し、師匠」
「まったく、情けないねぇ。ずっと聞いてるのに気がつきもしない。そもそも、重要な話をするときは防音の術ぐらいかけなさい」
 邪魔をするよ、とつかつかと部屋に足を踏み入れたサエラは、アガットの脇まで来ると彼女の両頬をぎりぎりと引っ張った。
「いたひ……」
「皇子が共もつけずにシルビアのところに忍んでいくから面白そうだと思って、せっかく野次馬に来たのに。まったくなんだい、私が隠れている事に気がつきもしないで。こんな出来の悪い弟子はお前が初めてだよ」
「離ひてくらはい」
 もう一度強く両側に頬を引いてから、サエラは手を離した。
「一人前の術使いになったら、カルビエをそばで守るのはこのわたしよ、なんて言っていたのはどこの誰だい。それをさっさと逃げ出して」
 両手で頬をさすりながら、涙目で恨めしげな視線を向けるアガットを無視して、サエラは続けた。
「師匠、もうそのへんで勘弁してください。わたしが悪かったです」
「ふん、わかればいいんだよ」
「サエラ、一体いつから」
「聞いていたのは最初から。部屋の外に忍んでいたのは、シルビアが提案をしたころからだ。なんだか面白い事をしているじゃないか」
 カルビエの問いに答えてサエラはにやりと笑う。
「サエラはどう思う? 僕達はシルビアの提案はやってみる価値があると思ったんだけど」
「私は面白いと思うね、賛成だよ。固定観念に囚われた古だぬき達の退屈な議会に飽き飽きとしてたんだ。私たちは協力を惜しまない」
「私たち?」
 言葉の不自然さに気がついたカルビエの疑問に、サエラは笑って扉の方に視線を投げる。
「いいのだろう? イザベラ」
 乱暴なサエラとは違い、上品な音色を奏でながら皇妃が入口の鈴を鳴らす。
「立ち聞きなんてはしたない真似をして、恥ずかしいわ。ごめんなさい」
「母上!」
「母上……」
 クリエーナの皇妃、イザベラは何よりも先に娘の元に向かい、そっと肩を抱いた。
「おかえりなさい、カリョナ。サエラがカリョナが戻ったと教えてくれたから、あなたが来るのを待てずに会いに来てしまった」
「ごめんなさい」
「あなたの意思で戻ってきてくれたのだもの。だからいいのよ」
 しばらく愛おしそうに娘の肩を撫でていたが、イザベラはアガットの隣に座りなおして、カルビエとシルビアの顔を順に見た。
「わたくしは、何事もずっと同じ場所に留まる事はできないと思っています。けれども、クリエーナを変えるのは、よそ者であってはいけない。どんなにクリエーナを愛していても、悲しい事に、わたくしはよそ者なのですもの」
「クリエーナを変えられるのは、良くも悪くも議会のやり方に染まっていない若い力だと私は思っている。イザベラは最初の取引先として協力できるし、私は議会の流れを変える協力は惜しまない。私たちにできる協力はこれぐらいだ」
 サエラは、イザベラの傍らのソファの肘置きに軽く腰掛けた。
「師匠は議会には出ないじゃない。いったいどうやって?」
「お前は私をなめているとしか思えないね。これでも宮の術使いのまとめ役だよ。お前の知らないコネぐらい持っているさ」
 師弟がやり取りをしている横で、シルビアが小さく息を吐く。
「国が荒れなければいいのですけれど。来年の花祭りは……ちゃんとできるのでしょうか」
「シルビアは花祭りが好きなの?」
 イザベラも十年前の花祭りの夜に起きた事件を当然知っている。花祭りの記憶は楽しいものばかりではないだろうに、といたわる視線を向けると、シルビアは膝の上で握った手を見つめたまま、ぽつりと答えた。
「花祭りはみんなの希望なんですよ。一年で一番楽しくて幸せな日です。こんな時だから、なくなってはいけないと思います。それに、わたしにとっても大切な日なんです」
 どう大切か。シルビアは言わなかったがその表情からは負の感情は読み取れず、花祭りに対する好意が感じられる。
「だったら、計画をさっさと動かさなきゃいけないね。皇太子領に行っても新年の行事と、花祭りにはラピスに戻るだろう。逆にそれを利用するのも手じゃないか」
「どういうこと?」
 アガットの疑問に、カルビエが答える。
「すぐに皇太子領に移動して、計画を開始する。領地とラピスの間には、オシラ、マガロ、リーシルにトジャ他にもいくつか議会で大きな発言権を持つ貴族達の領地が揃っている。移動の時に他国と取引する利点をうまくアピールできれば、話が大きく進むはずだ」
「貴族達は、自分の身の振り方に影響する話題には敏感よ。うまくいけば、年が明けて一番最初の議会でその話題について話し合うことができるわ。サエちゃん、それぐらいなら操作できるわよね?」
 若い三人がぎょっとしてサエラを振り返ると、皇妃からの無茶な要求に、サエラは軽く頷いて応えた。
「ただし、それはお前達の努力次第だ。貴族達が、お前達のすることに利点を感じることができなければ、私がいくらつついても動かないだよろうよ」
「最初の議会で議題に上がれば、花祭りにはある程度落ち着いているはずよ。そうすれば中止になることはないでしょう」
 おっとりとした皇妃の笑顔に、シルビアは詰めていた息を吐いた。

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