目次

それぞれの道   




 一緒に遊んだり、仕事をする事で、子供達がどのくらいの力を持っていて、どのくらい精霊とうまく付き合うことができているのかを観察していたアガットは、自分が想像していた以上に倉庫の子供達が精霊と上手く付き合う方法を知っている事に驚いていた。
「リヴ、あの子達みたいに木に耳を澄ませてごらん。そしたら、きっと同じように熟れた実を拾えるようになるから」
 不思議そうにアガットを見上げるリヴに、一本の木を示す。曲がりくねった枝にはコケが生え、太い幹はアガット一人でも抱え切れないほど太い。威風堂々といった形容が似合う老木を見上げ、アガットは微笑んだ。
「この木なら、きっと親切に教えてくれるよ。リヴには水の精霊が憑いてる。木の精と水の精は仲良しだから、きっと上手くいくよ。信じてやってみてごらん」
 子供達の中の、一番年下のティムがアガットの姿を見つけて転がるように走って来る。
「アガット、みて! きれいな石みつけた!」
 スカートの裾がまだ少し濡れていて、川に入った事がすぐにわかる。リヴと同じ水の精霊に好かれたティムは、川で珍しいものを拾ってくる天才だった。
「あら、ティム。これ、ガラスじゃないの。めずらしいわね。なんてきれい!」
「うん」
 ティムは水に揉まれて丸くなった小さなガラスのかけらを陽に透かす。きらきらと光をはじくそれは、すっかりティムの宝物になったようだった。ティムがいつも提げているポシェットの中には、そうした宝物がたくさん詰め込まれている。
「リヴもおじいちゃんに聞くの?」
 ガラスのかけらをしっかりと小さな掌に握り込んだまま、ティムの興味はくるりと別のものに移る。
「おじいちゃん?」
「あの木のおじいちゃん。やさしいの」
 ティムの視線の先で、目をつぶったリヴが木の皮に耳を当てて、目をつぶっている。
 なるほど、木の精霊は、幼いティムには老人に見えるのか。アガットは感心してリヴに視線を戻す。
「リヴ、やさしいおじいちゃんが、なんでも教えてくれるんだって」
 声をかけると「あ!」とリヴは小さな声を上げた。
 目には見えない精霊は、想像の力に姿を左右される。自分を取り巻く不思議なものたちをどうにかして捉える事がちからをコントロールするための第一歩である。年の近いもの同士のほうが、そのイメージを共有しやすいのだろうか。アガットは倉庫の子供達と出会ってからの発見を書き留めている帳面に走り書きすると、リヴの背後に立って肩を抱いた。
「リヴ、おじいちゃんに会えた? おじいちゃんは、この木に宿る精霊なのよ。この山の一番の長老だから、山の事なら何でも知ってるわよ。困った事があったら、こうして尋ねてみるといいわ」
 不思議との出会いにまだぼんやりとしているリヴが返事をする前に、少し離れたところから、小さな悲鳴が上がった。反射的にそちらを見ると、つむじ風の中で子供達が騒いでいる。
「どうしたの?」
「エリィが泣いたー」
 草を踏み分けて子供達のところに駆けつけたアガットはつむじ風の中に足を踏み入れた。腕で顔を覆って飛び散る土から目を守りながら、風の中心の草むらにうずくまる赤毛のポニーテールに話しかけた。
「エリィ」
 うずくまる少女の膝こぞうには小さな擦り傷とにじんだ血が見える。すぐそばの砂地には滑ったような跡が残っている。おそらく、エリィは滑って転んでしまったのだろう。アガットはエリィを慰めながら、周りで暴れている精霊達をなだめにかかった。
「エリィ、痛くないよ、大丈夫」
 肩を抱き、エリィの耳元に口を寄せて話しかける。
「息を大きく吸って、それからそれをゆっくりゆっくり吐き出してごらん。そう。もう一度ゆっくり吸って、ゆっくり吐き出す。怪我して驚いたりしたから、精霊達もびっくりしちゃったんだね。エリィが落ち着けばみんなも落ち着いてくれる」
 エリィが泣き止むと、風もぴたりと止んだ。
「精霊達はね、エリィが大好きだから、エリィと一緒に泣いたり怒ったり笑ったりしたいんだよ。別に、悪い事をしようと思ってるわけじゃないの。だけどね、いっつも大騒ぎになったら大変でしょ。精霊の力がコントロールできるようになるまでは、心の波を穏やかにするための方法も覚えておいた方がいいと思う」
 騒ぎを聞きつけて集まってきた子供達は、なにが起こったのかを知ろうと、ひそひそ話でそれぞれの知っている情報を交換しあっている。
「心の波を穏やかにする方法?」
「そう。別に、笑ったり泣いたり、怒ったりしちゃだめってわけじゃないのよ。精霊に、あなたまで大騒ぎしなくってもいいのよって教えてあげる方法。今日はお天気も良いし、ちょっとしてみようか?」
 子供達は、それぞれ顔を見合わせ、どうしようかと迷っている様子だった。アガットはぐるりと見回し、小さく微笑んだ。
「気になる人だけでもいいわよ。その代わり、しない人も静かにしててね」
 アガットは木陰に腰を下ろすと、草を枕に仰向けになって手足を投げ出した。
「どこでもいいから、自分が気に入ったところで横になってね。横になったら、目を閉じて、体の力を抜いてみて」
 最初はエリィと、その仲良し達。それからティムとリヴ。他の子供達もぱらぱらと動き出して、それぞれお気に入りの場所を見つけて横になった。
「まずは息の仕方から。ゆっくり大きく息を吸って、ゆっくりゆっくり時間をかけて吐き出すの。まるで自分が溶けてしまって山の一部になったみたいに感じるぐらいにね」
 鳥の声や、風に揺れる木々の音が遠くなる。それでいてとても身近に感じる。まるで、その木々を揺らす風があたかも自分であるかのようにさえ思えてくる。何も感じないようで、けれども目をつぶっているのに、体の上で踊る木漏れ日のレースが見えるように思うほど感覚が研ぎ澄まされる。
「体の中、胸の辺りに心臓があるでしょう。どくん、どくん、どくん。心臓からは温かい血が体中に送られている。両手、両足。どくん、どくんって指の先までね。先っぽの方まで、どくどく言ってるの、わかるかなぁ」
 自然の中に溶けてしまった体が、再び自分のものになる瞬間。アガットはこの瞬間が大好きだった。脈打つ心臓に合わせて、自分の輪郭線がはっきりとわかる。
「手足がだんだん、温かくなってくるよ。指の先までちゃんと血がめぐってる。息をする。心臓が動く。目をつぶっていても、自分の体がどこまであるかちゃんとわかるような感じがするでしょう」
 繰り返す呼吸とともに、少しずつ体と心が落ち着いてくる。
「さあ、目を開けて。今度は体を動かしていくよ。まずは指先。次は手首」
 肘、肩。次は足の先、足首、膝、足の付け根。それからゆっくりと上体を起こす。子供達は、きょとんとして顔を見合わせていた。そして、確認するように自分の手足を見つめたり、手首をぷらぷらと揺らしたり、軽く飛び跳ねたりしている。
「アガット、なんかへんな感じがする。自分の体がちゃんとあるみたいな感じ」
「すっごくぐっすり眠ったあとみたい」
「これがね、心の波を穏やかにする方法。体もなんだか楽になると思わない?」
 こくり、と子供達の首が次々に縦に揺れる。
「慣れてくると、立ったままでもすぐにできるようになるよ。今度は、少しずつ一人でできるように、練習してみよう」
 これは、言葉で説明するよりも実際に体験してもらった方が、わかってもらえる技法だ。アガットも、その昔サエラから何を教わるより先に教えられたものだった。


「アガット、今日はありがとう」
 帰り道、そっと寄り添ってきたエリィがちらりとアガットを見上げる。どういたしましてとアガットが微笑み返すと、エリィはアガットの掌に自分の手を滑り込ませた。それを目ざとく見つけたティムが小さく頬をふくらませ、反対側のアガットの手を奪うように取ってぶら下がる。
「あーあ、ここにおねえちゃんもいたらいいのになぁ」
「おねえちゃんはこんな難しい事教えてくれないけどね。アガットはすごいね。先生ってこんな感じかなぁ」
「ありがとう。ねえ、おねえちゃんって誰のこと?」
「アガットが来る少し前に、お仕事見つけたんだって倉庫を出て行った人。アガットみたいに優しくってさぁ、おねえさんとか、おかあさんがいたらこんな感じかなぁってずっと思ってたんだ」
 ゆらゆらとアガットの手を揺らしながら、エリィはにこにこと笑う。
「おねえちゃんとも、よくこうやって手をつないだんだ」
 懐かしむように目を細めたエリィは「うそ……」とつぶやいて立ち止まった。
「どうしたの?」
 エリィの視線を追うと、逆光でよく見えないが倉庫への細い通路の入口に女の人が立っている。
「ティム、エリィ!」
 女の人は大きな声で二人の名を呼び、手を振りながら駆け寄り、そのまま跪いて二人をぎゅっと抱きしめた。
「レスターおねえちゃん!」
 気がついたほかの子供達も歓声を上げて駆け寄り、女の人を取り囲む。取り残されたアガットとリヴは顔を見合わせた。
「あの人誰?」
「うーん、噂が本人を呼んだみたいよ」
 女の人を囲んで団子のようになった子供達は、そのままもつれるように倉庫の中に入っていった。
「みんな、元気だった?」
「うん、おねえちゃんは?」
「もちろん元気よ。ふふ、全然変わってないのね」
 懐かしそうに彼らが住居にするために無断で改造した倉庫の中を見回したレスターの視線は入口付近でリヴを並んで立っているアガットの所で一瞬止まり、それから倉庫の奥に移り、セルマを見つけてぱっと輝いた。
「セルマ、この人は誰?」
 おそらく見知らぬアガットに直接声をかけるのはためらわれたのだろう。不安げに揺れる瞳はセルマに向けられる。
「本人に聞け」
 セルマは嫌そうに顎でアガットをさした。アガットは会釈をした。
「はじめまして、わたしはアガット。あなたは?」
 アガットの笑みに警戒心をといた彼女もつられたように名乗る。
「あたし、レスター」
 しかし声はセルマや子供たちに向けたそれとは違いまったくの無愛想で、彼女がアガットに好印象を持っていないことはよくわかる。レスターの視線はすぐにアガットから外れ、セルマに戻った。そうして彼に駆け寄って、そばに膝をつく。
「セルマ、なんでこんな人ここに入れたの。あたしたちの場所に、関係ない人をいれないでよ」
「勝手に出て行った人間が今更居場所を主張するな」
 レスターはしょんぼりと肩を落とした。それでも、すがるような視線はセルマからは離れない。
「……出て行ったヤツが何しに戻ってきた」
 レスターの視線は一方通行で、セルマのそれとは決して合わない。なぜなら、セルマがレスターの方を見ようとはしなかったからだ。セルマの横顔を見つめるレスターの瞳が揺れる。
「何しにって。あたしはただ、ちび達に会いに……来た、だけ」
 レスターの声は尻すぼみに小さくなる。
「それだけじゃないんだろ?」
 レスターはちらりとセルマの横顔を見上げ、そしてすぐ足元に視線を落とした。
「ちび達を本気で心配してるなら食い物でも持って来いよ。おまえの大好きな組織からもらってよ」
 レスターは何も言い返せず、隠れ家は沈黙で満たされる。アガットは二人の様子を見比べて、傍観することに決めた。
「――誘いに来たのよぅ……。だって、ここにいるよりたくさんご飯が食べれるんだから」
 初めて、セルマの視線がレスターに向けられる。
「こいつらまだ満足に力使えてねぇのに、行っても役立たずだろ? 役立たずにまで飯を渡すわけがないって、それぐらいわかんねぇのかよ。……それに、勝ち目のないもんに協力する気も、させる気もねぇよ。帰れ。もう二度と来るな」
「だって」
 レスターの声が湿り気を帯びる。
「だってぇ……」
「こいつらはまだガキだ。守れもしないのにそんなところに誘うな」
「おにいちゃん、おねえちゃんいじめてるの? おねえちゃんなきむしなのに」
「ティム、別にいじめているわけじゃないんだぞ」
 ぽかぽかと足を叩くティムをセルマは抱き上げて優しく背中を叩いてやる。
「ほれ、ねえちゃん帰るって。見送ってやんな」
「いや。帰んない」
 必死に首を振る様子にセルマはため息をつく。
「ほんとに俺より年上かよ。ガキみてぇ」
「ガキじゃないもん。ねえ、あのね、ほんとに優しい人ばっかりなんだよ。みんないるんだから。ねぇ、セルマも来てよぉ。だって……そこじゃぁ誰もあたしたちのこと、魔物憑きだなんていわないんだよ。役に立てるんだよ」
 もう一度セルマはため息をつく。どうしてわからないんだといわんばかりの視線にレスターはそっぽを向いた。
「利用されてるんだってわかんねぇのかよ。そいつらだって用がすめば態度が変わるに決まってんだろ? 馬鹿か」
 目に一杯に涙をためたレスターは、耐えられないと言わんばかりの視線を残して駆け去った。「おねえちゃん」と子供達の声がその背中を追いかける。
 さぞかし冷たい目でその背を見送っているのだろうとセルマを見ると、セルマは彼女の背中を案じるような優しい瞳で見つめていた。アガットはなんだか見てはいけない気がして、そっと視線をはずした。そして精霊を呼ぶと、彼女の後をつけるように頼んだ。
「おまえらなぁ、ちょっと術使えるようになったからっていい気になってんじゃねぇぞ。術はうまく使えるようになっても、おまえらには経験が絶対的に足りていない。もうすこし大人になるまでは、自分達だけで動くんじゃないぞ」
 一呼吸置き、ぐるりと部屋を見渡して子供たちを見渡したその目は、子供を叱る親のように思慮深い色をしていた。時に優しく、そして厳しくすることで、彼はこうしてこの小さな集団を守ってきたのだ。アガットはセルマの正確な歳は知らなかったが、見かけの歳以上にその背中は大きく見えた。


 いつもならば年長の子供達を中心として、わいわいとにぎやかな夕食の支度の時間が、今日は嘘のように静かだった。
「あんたも、いつまでここに出入りするつもりだ。珍しいもの見つけて楽しんでいたんだろうが、そろそろ満足しただろ。それとも、同情でもしてくださっているのかな」
 いつも子供達と一緒に過ごしていたから、倉庫に一人残るセルマと話をしたことはほとんどなかった。彼はいつだって、窓枠に腰掛けてじっと倉庫の中を見ていた。神の使いである夢の乙女が世界を見守るその役目を果たすように、セルマは倉庫の中のことならば何でも知っていた。
「遊びなんかじゃないわ。同情でも、哀れみでもない」
 ためらった末に、アガットは口を開いた。幼いころのあの日を除けば告白するのはこれが初めてだ。告げればセルマは災いを見るようにたちまち顔を背けるだろうか。けれども、そうならない確信が胸のどこかにあった。理由は違えどもセルマも疎まれて育った子供であるし、話せばわかってくれるような気がしたからだ。
 傍らで、夕食の支度には混じらないリヴがじっと二人をみつめている。
「……わたしはね、割れ子なのよ」
 セルマの表情は恐れていたようには変わらなかった。いつもと同じ窓枠に腰掛けた彼は、話など聞いていないかのように片膝を抱えて外を眺めていた。重い話題を過剰に演出するように外は薄暗くなりはじめ、倉庫はどんよりと蒸し暑い。
「母は、わたしが魔物憑きとして産まれたことを利用して割れ子だということを隠してわたしを生かしたの。人知れず術使いのところに預けて人目に触れないようにして、弟が一つになったころにわたしを産みなおしたのよ。だけどいくら伏せても、そういう話題って口の端に上るものなのね。わたしは、魔物憑きとしては疎まれることはなかったけれど、割れ子として同じように育ったのよ。だから、あなたたちの気持ちがわからないとは言わせない」
 人が理性と知恵を手に入れたのは、親から与えられるものをすべて手に入れて生まれるからだ。その証に理性と知恵を持たない獣は腹の中で子を割り、人は一度に一人しか産まない。だからこそ獣と同じ生まれ方をする割れ子は疎まれる。母親の腹の中で子供が割れると、人として持つべきものを欠いて育ち、調和を乱し混乱を生むと伝えられてきた。それを裏付けるように、過去にいくつもの家で割れ子が財産や権力を求めて、血にまみれた醜い争いを繰り返し家名を汚している。
「わたしは獣よ。同情したり哀れんだりなんてそんなことはできない。気まぐれの同情でも、遊び半分でもない証明になるかしら」
「――貧乏人は同じ貧乏人を哀れむんだと」
「あなたってば、皮肉屋ね」
 それでも慕われて指導者的な立場にいられるのは、彼の裏に隠されたやさしさを皆が知っているからなのだろうか。子供達は皆、セルマの事を慕っている。詳しい事情は知らないが、先ほどレスターと争ったのも倉庫の子供達を守ろうとしてのことだと感じられた。けれども、そこからだけでも読み取れる事はたくさんある。
「わたしはあなたのことをよく知らない。事情も知らない。だから間違った事を言っていたら謝るわ。あのね、セルマ。あなたは変わることが怖いのではないの? わたしにはあなたが“今”を守る事に必死になっているように見えるの」
 セルマからの返事はない。けれども、それが返事のような気がしてアガットは続ける。
「ずっとこの廃倉庫に隠れ住んで、その先はどうするつもりなの。あなたは時が進む事を恐れて、子供達をずっとあなたの元につなぎとめるつもり? 子供達がずっとあんたの庇護下にいれば満足?」
「別につなぎ止めようだなんて思ってないさ。自分で自分のすることに責任を取れるようになれば、好きに生きればいい。あんたこそ、子供達をどうするつもりだ。気まぐれで、夢を見させるのはやめてくれ。あんたに責任が取れるのか!」
「なにも、一人で全部背負う必要なんてないと思う。あの子達はいつまでも子供じゃない。ちゃんと自分の事は決められる。自分で決めた事だもの、うまく行かなくたって、自分で責任が取れるわよ。その時、補助するのが保護者の役目でしょう。大事に大事に守っていたら、いつまでたっても飛び立てないわ」
 言いながら、アガットはまるで自分に言っているようだと思った。城を飛び出したのは自分で決めた事だ。城の中にいては、自分の未来など真っ暗で見えなかった。外の世界はとても広くて、驚くほどに明るかった。そして、やりたい事を見つけた。それがたとえ失敗しても、後悔はしないだろう。けれども、そこに他人を巻き込む事にはとても勇気が必要だ。セルマが保守的になる気持ちも良くわかる。だけど、子供達は? 大事に大事に閉鎖的な空間で守られた子供達は、未来にどんな可能性があるのかをどうやって知るのだろう。アガットはこの倉庫と似た環境を良く知っている。母や師匠に守られてきた自分と、セルマに守られる子供達。この二つは驚くほどにそっくりだ。
「わたしね、この子達と出会って、術使いの学校を作りたいと思ったの。師につかなくたって、あなたたちは力を制御できている。それどころか、ちゃんと習ったわけではないのに、同じ年の術使いの弟子達以上に精霊とうまく付き合うことができている。術使いの教育が、一対一の師弟制度である必要性はないんじゃないかしら。そして、私はしばらく一緒にいてみて、あの子達の能力がこんなにも高いのは、集団の力だって確信したのよ」
 セルマの瞳は色を変えない。相変わらず興味があるのかないのかわからない視線をアガットに投げかけている。けれども、その視線がアガットに向けられる時間は、話し始めたころに比べると格段に長くなっていた。
「これは、前から思っていたことなんだけどね、師匠も別に教育の仕方を習っているわけじゃない。こんなことを繰り返していたら、そのうち失われてしまう技術もあるだろうし、技術の水準が下がる。たとえば術使いの技術量を証明するこの腕輪、協会で実技の試験があるのだけど、年々技術が高いことを示す四本線を腕輪に刻める人が減っていると聞いているわ」
「それは、おまえが優れているという自慢か?」
 アガットの腕輪に刻まれた線は四本だ。アガットは一瞬自分の腕に視線を落とす。
「茶化さないで。勉強のためにも、技術の保存のためにも、術使いにはちゃんとした教育機関が必要だと思うのよ。学校の構想もちゃんとできていない状態で、こんな事を言うのは夢物語でしかないけれど、術使いになるかどうかは別として、精霊の力を制御する事ができなければ、普通に働く事も難しいのだもの。ねえ、協力してもらえないかしら」
「決めるのは……あいつらなんだろう。おまえがそう言ったんだ」
「セルマ、あなたは?」
「俺は見届けさせてもらう」
 ふと気がつけば、食事のしたくはすっかりと終わっていて、子供達は思い思いの場所で小さなお椀から汁物をすすっている。明かりのないこの倉庫では、日が沈むまでにご飯を食べ終わってしまわなければならない。リヴもメリエムのところに帰らなければならない時間だ。
 セルマは窓枠からゆっくりと降りると鍋のところまで歩いていった。
「セルマ、今日は話を聞いてくれてありがとう」
 まるで立会人のように傍らでずっと話を聞いていたリヴが、帰る合図を読み取って、アガットの手をそっと握る。
「みんな、おやすみ! 今度は明後日来るからね」
 アガットは、リヴの手を引いて倉庫を後にした。西の山端にかかった太陽は真っ赤に輝き、その日最後の明かりをラピスの町に投げかけている。仕事を終えて帰路につく人々が足早に二人を追い抜いてゆく。
「姉ちゃん」
 家までの道のりを歩きながら、リヴはアガットを見上げた。
「おいらは、姉ちゃんは先生に向いてると思う」
 夕暮れ時の寂しい町の雰囲気がそうさせたのだろうか。それとも、飾らないリヴの言葉が胸に響いたのだろうか。アガットは何故だか急に泣きそうになり、斜め前に長く伸びる自分の影を見る振りをして潤んだ瞳をリヴから隠した。

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