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岐路 3   




 若い術使いが宿の片隅で店を出している。恋占いと失せ物探しの占いが良く当たるというので近所で評判になり、ぽつりぽつりと客が訪れるようになった。
 昼過ぎにやってきた一人の客が、人目を忍ぶように室内に入っても日よけの布を頭から取らず、その影からこちらを窺っている事には気がついていた。そしてそれが誰であるかもアガットにはわかっていた。
 術を目当てとした客が引き、夜の食事に来た客が姿を見せ始めた頃、彼女はようやく遠慮がちに向かいの席に浅く腰掛けた。傍目には人に聞かれたくない相談に来た客に見えるのだろう。食堂にいる客たちは皆申し合わせたように離れた席に座りこちらの存在を忘れたように振舞っている。それがこのような場での暗黙の決まりごとだった。
 術使いと客はしばらくの間言葉も交わさず、向かい合って座っていた。客は席に着いてからずっと目を伏せて俯いていたが、この席の主導権は客のほうが握っていた。アガットは何を言えばよいのかわからずに何度も唇を動かし、言葉になり損ねた音を唾と一緒に飲み込んだ。
「……シルビア」
 ようやく音になったのは、相手の名前だった。彼女も術使いと同じように言葉を探し、それを見つけることができないでいるようだった。互いに話さなくてはならないことはたくさんあるのに、何からどう話してよいかがわからなかったのだ。名を呼ばれて客はようやく顔を上げた。唇を引き結んだまま、真っ直ぐに術使いに視線を向ける。
「名乗りもしないのに、よく私の名がおわかりになりましたね。さぞかしご高名の術使いなのでしょう」
 皮肉な口調に、今度は術使いが俯いた。しかし、すぐに顔を上げると客に向ける決まり文句でそれに答えた。
「とんでもございません。本日はどのようなご用件でいらっしゃいましたか」
 その顔には先ほどまでの感情に揺れた表情ではなく、客商売に必要な人当たりの良い柔らかな微笑みが浮かんでいる。どう話をしてよいかわからなかった二人は、初対面の客と術使いとして振舞うことで会話の糸口を得たのだった。
 シルビアもそれに応じ、術使いのところに良く訪れる客らしい依頼の形で用件を口にした。
「……ある方の居場所を知りたいのです。黙っていなくなってしまって、その方のご家族も、私もとても心配しています」
 このような依頼は街の術使いの仕事によくあるものだ。普段であれば占いや術を使って依頼をこなすが、この件に関してはいつもの仕事が行えなかった。尋ね人は自分であるからだ。アガットは占いに使ういくつかの物品を手の中で弄んだ。無機質な音が小さく響く。
「目をそらすということは、ご自分が悪いと自覚なさってるのですね、姫さま」
 知らぬ間に視線をそらしていたアガットは、彼女の言葉に我に返って視線を戻した。もう、白々しい笑顔で素知らぬ振りをして対応することはできなかった。シルビアが探しに来た「ある方」、すなわちクリエーナ皇女カリョナとはアガット自身なのだから。
「……悪いなんて思ってないわよ。わたしさえいなければ全部丸く納まって、みんなもう少しずつ幸せになれる。楽に生きられる。だけど、その最善の方法は認めてもらえないの。本当なら、生まれた時にそうであるはずだったのに! なぜ探したの。わたしがいると、カルビエのためにならないのよ」
 心のうちを映し出した暗い瞳が、返事をできずにいるシルビアに向けられる。早口の攻め言葉は針のように冷たく尖っていた。返事を待たずアガットは言葉を継いだ。
「わたしは獣なの。十年もあそこにいたのならば必ず耳にしているはずよ。そもそも、噂なんて聞かなくたって、シルビアは出会った時からわたしが魔物つきで、その上に獣の子だって知っていたじゃないの。その言い伝えどおりに不幸を呼び込むこともね。クリエーナやカルビエを喰い殺してしまわないために、シルビアに期待されたようなことは絶対にできないし、したくない。けれども、それを行うのが“わたし”でさえなければ災いを引き込むこともない。だからあげるといったのに」
「そのような事!!」
 感情的になった自分の声に怯んで、シルビアは口を噤んだ。からくり人形のようにぎこちなく首を動かして周囲を確認すると、慎重に声量を調整しながら続けた。
「……真に獣であれば、欲望を最優先に行動することでしょう。理性を働かせて自分を律することなどできるはずがございません。」
 話題にする事を禁忌とされ、けれども最も関心を持たれている話の一つだった。割れ子は理性を持たぬ獣の子。家を、財産を喰い合い不幸を呼び込むもの。クリエーナ皇室に生まれた兄妹は一つ年の離れた兄妹と言うことになっているが、本当は割れ子である、と。噂話にまったく興味がなくとも勝手に耳に入ってくるのに、なぜ皇女の行動がそれに関わることに気が付きもしなかったのだろう。皇子はとっくに気がついていたのに。だから、留学の話を出したのだ。シルビアの胸の内は泥棒が入った家の中のようにぐちゃぐちゃとして、探し物をなかなか見つけることができなかった。
「私は何てことを。姫さまを追い詰めたのは、私だったのですね」
 アガットは、それは違うと言いたかった。しかし干上がった喉の奥に舌が貼り付いてしまって声は出なかった。目元が薄紅に染まり、シルビアは今にも泣いてしまいそうだ。
「ここでは、話したいことを心のままに話すことができません。あなたの部屋に案内していただけませんか」
 アガットは、返事もせずに机の上に並べていた商売道具をわざと時間をかけて丁寧に専用の箱にしまうと、黙って立ち上がった。シルビアがついてきている事を確認すると、後は振り向かずに居室につながる階段を上っていった。


 部屋に着くと、アガットは明かりをつけ、術を使って部屋の中に防音の壁を張り巡らせた。安宿の小さな部屋には、机と椅子が一つずつあるきりで、客を招くようにはできていない。その椅子を勧めても、シルビアは扉のすぐ内側から部屋の奥に踏み込もうとはしなかった。まるで、囚人が逃げ出さないよう監視する兵士のように背で扉を守っているように見えた。
 カーテンを閉め、散らかした部屋を整え、アガットは無理に用事を探して狭い部屋の中を歩き回った。とうとうすることが無くなり、あきらめて寝台の端に腰掛けると、待っていたようにシルビアが口を開いた。
「本当に心配したのですよ。姫さま。カルビエ様も、皇妃様も、サエラ様もみんな心配されていました。今日は、カルビエ様と来るはずでした。近くまでは一緒に来られていたのですけど」
「あのお堅いカルビエがお忍びで? 珍しいこともあるものね。だけど、どうして一緒じゃないの」
「私は、姫さまに姫さまが出て行く前と同じ事を言おうと思ってこの宿の扉をくぐりました。いえ、心配していたのは本当です」
 質問には答えず、シルビアは話を続ける。コップになみなみと飲み物を注いでスプーンでかき混ぜるとこぼれてしまう様に、整理しきれない言葉が頭から溢れてしまっているようだった。心配をしていたのは本当だ。けれども、街を見て思ったことを皇女に伝えたいのも事実だ。しかし相手の事情を知ってしまえば、この思いの行き先はどこにも無くなって胸のうちをぐるぐると回り続けて苦しいだけだった。
「カルビエ様が、姫さまを見つけたから一緒に行こうと誘ってくださったのです。一緒に街に下りて来ました。ここは首都ですよ、クリエーナの。たった数日前に国で一番大きな祭りがあったなんて信じられないくらいに人が少なくて、あんなににぎやかだった大通りに開いていない店があるなんて信じられませんでした。それに路地裏には屋台の残骸が転がっていて、それを利用して作った小さな小屋に誰かが住んでいました。……カルビエ様は、そんな街の様子に驚かれて宮に戻られました」
 こんな風に、考えがまとまらないままにシルビアが話をすることはとても珍しい事だった。アガットは聞き役に徹するつもりでいたが、黙っていることが苦手な性質が邪魔をして、口を挟まずにはいられなかった。
「二ノ郭よりも下に行ったわけではないんでしょう?」
「いえ、一ノ郭の話です」
 最近めっきり治安が悪くなった港の方にまで行ったのならばまだ理由はわかる、とアガットはカルビエの顔を頭の中に思い浮かべる。一ノ郭で一体何に驚いたというのだろう。街に行くたびに、外に行くことのないカルビエに街の様子を話してきたはずだ。
「カルビエには街の様子は話して聞かせていたのよ。あの子は普通の日に貴族街より外に出たことはないはずだから、実際に見て驚いたのかしら。あのね、一ノ郭はゆっくりとこうなったのよ。少しずつ商品や人が減って、人が減ったから商売をたたんで田舎に帰ったり、街の人にはこれが普通。元々、他所から来て商売している人たちの集まりだからね。今商売してる人は、昔からここで商売をしているような人たちかしら。でも、そうね。だけど、問題なのはどこにも行くところがない人たちがたくさんいて、仕事が無くなってから急に治安の悪くなった二ノ郭の話よ。今では別の街みたいに感じるからこっちならショックを受ける理由もわかるんだけど。……でもそれは、カルビエも大臣達も、父上も承知しているはずよ。だから今までは形だけで閉ざさなかった二ノ郭の門を閉ざして身分証を確認するようになったんだもの。一ノ郭の門では必ず身分証を確認していたけれど、二ノ郭では今までそんなことはしていなかった。それはシルビアも知っているでしょう」
 もちろん知っていた。けれどもそれは実感を伴わないものだった。
 街の子供だった自分が街の事を知らず、皇女であるカリョナの方が街に詳しいというのはなんだか皮肉な感じがした。そして何より、皇女が義務を放棄したがっている事を糾弾し、国を何とかするようにと訴えた自分が、その相手よりも実態を知らないことが恥ずかしく感じられた。人の手で育てられている鳥の雛のように、安全な場所で鳴いていただけであることを見抜いたように皇女が自分を見つめている。防音の術のせいか部屋は耳鳴りがするほど静かだった。今すぐに部屋を逃げ出してしまいたい。けれども、それをすればもう二度と会えなくなってしまうような気がした。
 自分の呼吸の音を30回ほど数え、その間になんとか心を落ち着かせると、シルビアは口を開いた。
「今日は、帰ります」
「うん」
「姫さま。姫さまの事は、カルビエ様が加羅へ留学したということにするそうです。城に戻れとはいいません。お願いですから、もういなくなったりしないでください」
 城下に留まって仕事をしていたぐらいだから、完全に姿を消してしまおうと思っていたわけではないだろう。ちらりと皇女の様子を伺うが、その表情からはこれからどうするつもりなのか読み取る事はできなかった。
「また、会いにきても……いいですか」
 返事はなかなか返ってこなかった。答えが是か否かわからないが、待つのが怖くてシルビアは「おやすみなさいませ」と早口に言うと扉を少しだけ開き、すり抜けるように部屋を抜け出した。

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