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岐路 2   




 何を着ていけばいいのかしら、と衣装棚を覗き込んでシルビアは盛大にため息をついた。鏡に向かって、四着ほど合わせてみたがどれもしっくりこず椅子の上に投げ出した。同行者の格好が予想できないのも服を決められない大きな原因だ。
 しばらくそのまま座っていたが待ち合わせの時刻は着々と近づいてくる。考えていても埒が明かないので、シルビアは思考を切り替えて最終的な二着を床に並べてそれぞれをそっと撫でてみた。木綿の肌触りの片方はシルビアの私物の普段着。もう片方は同じ素材でもずいぶん手触りの良い木綿で、カリョナがお忍びでどこかへ出かけるときに使っていた服の一着だ。見かけは同じようでも、素材の価値が大きく違う。街中で民が着ている服と同じように見えてもカリョナのものはやはり品がいい。驚くことに、カリョナのそうした衣装は、衣装棚に何着もありそのどれもが新品でないことが一目でわかる。シルビアはカリョナ付きの侍女だったが、四六時中一緒に過ごしていたわけではない。今回の件で自分の知らなかった一面を垣間見ることになり、本当に専属と名乗ってよいのかとやや複雑な気分になった。
 「よし」小さくつぶやいてシルビアはカリョナの衣装を手に取った。落ち着いて考えてみれば、同行者の服はこれに類似した品に違いないからだ。その予想は違わず、待ち合わせの場所では薄い水色の綿のズボンに濃青緑の長衣を重ねた、品のいい街着をうまく着こなしたカルビエが待っていた。
 ベールをかぶって待ち合わせの場所に行ったというのに、カルビエはすぐに気がついてまっすぐシルビアに歩み寄った。
「さあ、行こうか」
 にこやかに笑って何気なく差し出された手をどうしていいかわからず、シルビアはカルビエの目と手を交互に見つめた。カルビエは戸惑うシルビアに構わず更に歩み寄ってまるで妹の手を引くように握り締めて歩き出す。
「お待ちください。カルビエ殿下、手、痛いです」
 カルビエの早い歩調に小走りで追いつき横に並んで訴えるとごめん、とそっけなくつぶやいてカルビエは手を緩めた。
「街を歩く同じ年頃の者達が手をつないでいるのを以前に見かけたものだから真似をしてみたのだが、いけないかな」
「私に聞かれても困ります」
「じゃあ良いことにしよう。だって、その方が目立たないだろう? それから、お忍びなんだから殿下と呼ぶのは禁止だよ」
 一方的に決めると、カルビエは再び歩き出した。心なしか、普段宮で見かける様子よりもずいぶんと浮かれて見える。
 そう言ううちに皇宮の大門に着き、カルビエは門番に自分とシルビアの通行証と、書類を差し出した。シルビアのような宮の中枢で働く侍女は、外出に許可が必要となる。書類はその許可を証明するものだ。その書類とカルビエの通行証にどんな名が記されてあるかは知らないが、門番は書類を確認し、帳面に名前を書き取ると何もいわずに脇にある小さな通用門の錠を開けた。
 ラピスは小さな街だから、目的地までは歩いても行くことができる。
「街が見たいんだ。だから歩いて行ってもかまわないかい?」
「はい」
 それきり会話もなく、シルビアは手を引かれるまま坂をくだる。一の郭まで続く貴族の屋敷はどれも華やかで、緑の季節が始まる今は、どこの庭も負けじと美しさを競い合っている。先日の花祭りにたくさん花を切ったであろうに、それでもまだたくさん花が咲いている。
「暑くなってきたね」
「はい」
 また会話は途切れ、気まずい空気が流れた。一の郭より上は屋敷ばかりで「おいしそうですね」などと会話をつなげられる露店もない。することもなくなり、シルビアはカリョナが宿の一角で、術使いをしている姿を思い浮かべようとした。向かった先でカリョナはどんな術使いとして仕事をしているのだろう。
 けれど、想像することはできなかった。なにしろ、カリョナが術を使っている姿を見たことがなかったからだ。
「外に出るとやっぱり気分がいいですね」
「普段は大きな鳥かごに閉じ込められているからね。僕も城の外に出たのは公式の行事を除いては一年ぶりぐらいだよ」
「姫様はお忍びであちこちでかけていたようですね」
「変わり者の皇女は、頻繁に城を抜け出しては町を遊び歩いているって噂は、それほど広まってはなかったのかな。遊び歩いているかどうかは別として、昔からサエラについてよく街に出ていたようだけどね」
 サエラというのは、カリョナが師事しているクリエーナの宮付きの術使いである。皇女が変わり者と呼ばれるようになった原因の一つが型破りで奔放な彼女の性格だと言われている。
 何かを思い出したように、カルビエは眉間に浅くしわをよせた。
「そういえば、カリョナがまだ本宮に住んでいたころは、季節に一度ぐらいは土産だとか言って何か買ってきてくれたな。それが決まってしょうもないもので、もらうととても困るんだ」
「たとえば?」
「いかにも怪しそうな惚れ薬とか。――あれは、赤い染料で色付けされただけの水だった。あとは、かぶせて呪文を唱えるとコップが消えるスカーフとか」
 あ、とシルビアが小さな声をあげる。
「それ、見せていただいたことがあります。結局失敗してコップを割ってしまわれたやつですね。内緒にするとかしないとかで騒いでいるときに皇妃さまがいらして」
 姫さまのお土産だったのですねと弾んだ笑い声を上げたシルビアをもっと楽しませるために、カルビエは次々に思い出の品を挙げた。

 一の郭の門でも通行証を見せると、咎められずに通り抜けることができた。一の郭を過ぎるとラピスの景色はがらりと変わる。このあたりから、ラピスは色が変わってぱっと明るくなるのだ。一の郭より上にある貴族や裕福な商人達の屋敷は、遠くから運ばせた灰色の硬い石で建てられ、それより下の民家や商家は近くの山や自分の土地の地下から切り出した、やわらかいたまご色の石を使って建てられているのである。
「ああ、久しぶりだな、身分を隠して下りてきたのは」
 んーと両腕をあげて伸びをしたその表情は、いつも宮で見かける表情よりも年相応に見える。日向で見るカルビエの顔がなんだかまぶしくて、シルビアはベールの下からそっと盗み見た。
「ん? カリョの宿はもっと下った所。二の郭に近い場所だそうだよ」
 宿まであとどれくらいかと尋ねたようにでもみえたのだろうか。笑ってシルビアは視線を外した。
「……人、少ないですね」
 港からは、海岸沿いの町から船で運ばれた品々が、陸路からは地続きの町から運ばれた品々が集まって、ラピスは物と人とであふれかえる街であるはずだった。特に商店の並ぶ大通りなどは祭りのようなにぎやかさである。しかしそれが、まるで休日のような静けさだ。
 ぽつりとシルビアが言ったことで、カルビエは自分の記憶が間違っていないことを確信した。昔に比べて、商店の数も、商店の扱う品も減っており、それを買う客も減っている。
「シルビア、君が最後に市街におりたのはいつ?」
 カルビエの声の調子が変わったのを敏感に感じ取り、「そうですね……」とシルビアは真剣に記憶を思い返した。
「先日の花祭りは宮で仕事がありましたのでいけませんでしたし、それ以前でも、宮の中で大抵の用事済んでしまうので外に出ることはありませんでした。たとえ外でするような用事があっても一の郭までで済んでしまいましたし。ここ五年ほどこちらまでおりていないように思います」
「そう」
 それきりカルビエは何か、考え込むようにして腕を組んで黙り込んでしまった。そこでシルビアはカルビエがずっと歩調を合わせていてくれたことを知った。考え事に没頭してしまって、シルビアの事まで考え込む余裕がないのだろう。ずっとつないでいてくれれば、きっと距離が開いた事にすぐに気が付いてもらえただろうに、といつの間にか離されてしまった手を握ったり開いたりしてみる。そのうちに二人の距離は開きシルビアは小走りでその背を追いかけなくてはならなかった。
 シルビアは、路地に目を向けた。最後に来た時より、確実に寂れているのが一目でわかる。通りすぎたばかりの路地裏に、ぼろをまとってうずくまる痩せた男がいた。家を持たない者がこの町にいるなんてと目を見張る。そういう者は二の郭よりも海側に集まっているはずだ。一瞬目が合った男は、まだ働き盛りの年頃に見える。暗い路地裏でらんらんと光る目に身が竦んだ。次の路地には崩れかけた家が見えた。家の建築に使われるたまご色の石は柔らかすぎて、雨風に弱い。手入れをしなければすぐに痛んでしまうのだ。
「花祭りの日は毎年と変わらず、にぎやかだったのに。それは、たったの十日前の話だ」
 見た、と言ってもカルビエが花祭りに見ることができるのは、パレードで通った大通りの最もにぎやかな所だけである。今通っているのは、その道と同じ道だ。
「景気が悪くなって、街に入る物品の量が減り、そのために店をたたむ商家があるとは聞いていたが……。これほどとは」
 首都でこの様子であれば、他の町はどうなのだろう。シルビアは黙り込んで何かを考えている皇子の横顔を見上げた。ふいに、カルビエが横を向いた。
「シルビア」
「はい」
「ごめん、悪いけどカリョナのところへは、シルビア一人で行ってくれないかな」
 言うが早いが、返事も聞かずにカルビエはもと来た道を走り去った。シルビアはその背を見送って、しばらくその場佇んでいた。

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