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旅立ち 3   




 その日の昼過ぎ、彼の仕事が終わるのを待ってアガットはリヴを連れ出した。しかし、隣を歩くリヴの足取りは重い。まるで蛇が這った跡のような筋が二本、砂の上に残っている。彼が足を引きずった跡である。昼までにすっかり乾いた土は彼が足を引きずるたびに舞い上がり、彼の素足とサンダルを白く汚してゆく。
「姉ちゃん、どうしても?」
 しかし、誰だって気の進まない場所に行くときは足が重たくなるものだろう。
「わたしが術を使うところを見てみたいのでしょう? 魔物のちからを自由に操れるようになりたいのでしょう?」
 実際にはアガットから手を出す予定などないのだが、リヴを見下ろしてにっこりと笑ってみせる。
「だけど……」
「別に、あの子達をこらしめようとかそういうわけじゃないのよ。ただ、会いたいだけ。案内してくれるの? くれないの?」
「……する」
「大丈夫よ。あの子達はわたしに手を出すことはあっても、リヴには手を出さないわ」
「ぜったい?」
 疑り深く確認される度にしっかりと頷いてやる。
 魔物憑きの子供達は術使いを嫌っている。それに昨日見たわずかな時間での分析ではあるが、ヒース達は好戦的で、アガットが姿を見せればきっと再び術を仕掛けてくることだろう。
 手を出してくれればその分話のきっかけを得やすい。だから、アガットは自分に憑く精霊の気配を隠すこともせずにリヴの後をついていった。
 やがて商店や人家が減り、見えるのは倉庫ばかりになってきた。街外れに畑ではなく倉庫が並ぶのは商業都市ならではの風景である。足を踏み入れたことのない風景が珍しく、アガットは辺りを見渡した。
 商品を運ぶ馬車がすれ違うことのできるよう幅広く造られた道は、別の街へ至る街道に合流する。その先に遠く見える石造りの崩れかけた壁はまだ他国と付き合いがあったころの城壁の名残で、関所は放置されて、開いたままになっている。
 各倉庫の荷揚げ場では、粗野な笑い声を響かせながら筋肉質の男たちが昼下がりの休憩を楽しんでいた。


 リヴは、そんな荒っぽい喧騒の中を通り抜け、城壁の方向に向かって行く。城壁が近くなるにつれて、使われない倉庫が増えてゆき、それに比例するように街もリヴも静かになっていった。
「ねえ、もしかしてそこの角を曲がった先?」
 足どりがますます重くなったリヴに声をかけると、なんでわかったの? と丸い瞳が驚いたようにアガットを見上げた。
「リヴは、大きな商店や貴族の家に張ってある侵入者よけのしかけを知ってる?」
「聞いたことはあるけど」
「あれは、術使いの技なのよ。簡単に言うと、目に見えない鳴子を張り巡らせてあるんだけどね、それがちょうどそこの角に張ってあるの」
 ちょっとおいで、と道端に生える背の高い雑草の所にリヴをつれて行く。
「見ててごらん」
 アガットは、口の中でぶつぶつと呟きながらその草と二歩ほど離れたところにある別の草の間で糸をかけるような仕草をして、最後にリヴの額を指で弾いた。
「痛いなぁ、何するんだよ」
「これで完了。草の間を通るとリヴに知らせが行くわよ」
 アガットはリヴに目をつぶって背を向けるように指示をし、草の間を歩いてみせた。
 リヴが驚いて振り向きアガットを見上げると、アガットはその場にかがんで、リヴと目線を合わせた。
「わたしたちは、何もないところから風をおこしたりできるわけじゃない。精霊……あんた達が魔物と呼ぶものよ。術使いは、その精霊の力を借りることで術を使うの。術使いが精霊使いとも呼ばれることがあるのはそのためね。術使いの修行と言うのは、精霊の性質を知って、上手に意思疎通を図り、ちからを借りる練習をするということなの」
 子供には少し難しすぎただろうか。身近に小さな子供がいないせいで、アガットには彼らの理解力がわからない。彼の表情に混乱や困惑が感じられなかったので、アガットは話を続けた。
「術使いになる方法は二つあるの。一つはね、わたしやリヴやあの子達みたいな、生まれた時から精霊に好かれてしまう生まれつきによるもの。精霊は好いた相手の感情にあわせてちからをふるってしまうから、小さいうちは感情に任せて怒ったり泣いたりするたびに大変なことが起こるってわけ。リヴのお母様はすごいと思うわ。分別のないことを言うと、魔物が暴れるのよって、うまいこと言うわね」
 子供らしく、母親がほめられると無条件にうれしいようだった。リヴはまじめな表情を崩して顔中で笑顔を作る。
「二つ目は、普通の人が精霊と意思の疎通ができるように修行をする方法。東の方の国の人たちが行っている方法で、この国ではその方法を知っている人はいないのではないかしら」
 魔物憑きとも術使いともあまり触れ合う機会のなかったリヴは、アガットの話がめずらしいらしく、真剣に耳を傾けている。
「このしかけはね、精霊から借りたちからを蜘蛛の糸の様に張ったの。こういう繊細なお仕事は、水の精霊や土の精霊が得意なのよ。今は一本しか張らなかったけど、この密度を調整して感度を上げたりもするのよ」
 さ、行きましょう。とアガットは背中を伸ばし、リヴの手を引いて目的地に向かう。ヒース達に見つかりたいのだから、しかけを避けずにわざと引っかかり、精霊たちが発する耳には聞こえない警告音を聞きながらアガットは路地の奥に進んだ。
「何しに来た! 術使い」
 最初に姿を見せたのは、ヒースの弟分の背の低い方だった。怒鳴り声の剣呑さは、そのまま彼の精霊にちからをふるわせる。
「リヴ、よく聞いててね。わからないところは、あとで説明してあげるから」
 リヴを背中にかばい、アガットは一歩前に出た。裏路地で会った時と同じように、アガットの周囲の空気がじわりと熱くなる。少年に呼ばれた精霊達が集まってきたためだ。
「草木を火にくべるとたちまち燃えてしまう。火に水をかけると火は消えてしまう。そういう関係のことをことわりというの。ねえ、さっきと同じことをしたって、勝てないわよ」
「うるさい!」
「でもね、生木は燃えにくいし、たくさんの火は水を消してしまう。火は土を固くして強くするけど、やりすぎると粉々に砕けてしまったりするし、火に土をかけると消えてしまうことがある。理は絶対に曲げられないように見えるけど、力量の差や応用の仕方で色んなことができるのよ」
 アガットの周りで、たくさんの火の玉がちらちらと踊っている。
「面白いでしょう? わたしに憑いている精霊は木の精霊。だから火には弱いのだけど、木の精霊は水の精霊と仲良しだから、こうやって水の力を借りて、火を消す事ができる」
 ヒースの弟分だけではなく、彼の背後にいつの間にか集まってきた数人の少年少女たちにも視線を投げる。その中にはヒースの姿もある。自分の周りをぐるぐると回るたくさんの火の玉を一度に消してしまってから、アガットは挑戦的に笑いかけた。
 周りの空気と燃えていた火の温度差や、火を消すのに使った水の力の影響で風が起き、アガットの周りを吹き抜けた。
「そういうの、知りたいと思わない?」
「お偉い術使い様がこんな汚い場所に何の御用ですかね。俺達に関わるなと言っただろう。それとも俺達に情けをかけに来たのか?」
 子供達の背後から、青年が姿を見せた。
「セルマ!」
 子供達が次々に青年を呼ぶ。彼はそばに寄ってきた子供達の肩を抱いてやった。
「何を企んでいる」
「あなたは、どこかわたしの師匠に似てる。きっと建前なんて言っても通用しない人なんでしょ? だから正直に言うわ。あなたたちに興味があるの。わたしがヒース達と同じ年頃だった頃は、こんなに術を使いこなせなかったわ。ずいぶん荒削りで不完全だけど、一体どうやって覚えたの?」
 セルマは話を聞くつもりはあるようで、アガットの言葉の続きを待っている。
「家で育ったリヴは、術の使い方をほとんど知らない。だから、魔物憑きが皆そんなふうだとはとても思えない。わたしは、あなたたち自身にも興味があるし、あなたたちがどうやって術を学んだのか知りたいの。あのね、術使いの師弟制度は一対一が基本なの。多くても弟子の人数が片手を超える事はないわ。差は、集団か否かという所にあるように思うの」
 二人は互いを睨みつけるような強さで視線を交わす。子供達は不安げに二人を交互に見くらべた。
「だから、集団で学ぶというシステムに興味を持った。べつに教え方の方法を教えてくれってわけじゃない。ただ、わたしとリヴがここに遊びに来ることを許して欲しいの。その代わりといっては何か変だけれど、……術は基礎の有無で精度がかなり変わってくる。自分達の経験から学び取った事を伝えてきただけのあなたたちの術は不十分なところがある。わたしは、それを教える事ができるわ」
 先に視線を外したのはセルマだった。
「確かに建前だけ言われても俺は信用などしないが、馬鹿正直に話すなんてな」
 アガットを鼻で笑ったあとに、セルマは子供達に視線をやった。
「選ぶのは俺じゃない。こいつらだ。こいつらがお前達を受け入れるというなら、好きにすると良いさ。だが、少しでも危害を加えるような事があれば容赦はしない」
「そんなことしないわよ。あの、ありがとう」
 アガットは緊張を解くようにゆっくりと息を吐いた。子供達は、自分の意思を決めかねているようだった。


 翌日から一日おきにリヴを連れて廃倉庫を訪れるようになったアガットは、何かを教える様子もなく、子供達が街や山で食べ物を集めたり遊んだりしているのに混ざったり、その様子をのんびりと眺めたりした。そして時折ヒース達がアガットに遊び半分で一方的に喧嘩をしかけるのに付き合った。最初は、アガットの隣に不安そうに身を寄せていたリヴも、いつしか一緒に遊ぶようになっていた。


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