目次

花のない花祭り  4   




 年明け一番の議会での一番の議題となったのは、カルビエの皇太子領での活動だった。きっかけを欲していたのだろうか、他国と取引をする事に対してまずまずの好感触であった。ドリュの事件を恐れずにカルビエは活動を続け、皇太子領とラピス間で穀物の取引を開始した。
 商家の血が騒ぐのだろうか、ラピスの市場は徐々に賑わいを取り戻し、儲け話には目のない商人達は興味津々でジーリアの動向を見守っていた。
 花祭りの客で宿泊の予約がいっぱいになったのは、五年ぶりぐらいのことなのだそうだ。それを聞いた時、アガットは思いついたことがありメリエムに一つの提案をした。メリエムは花祭りに向けて手伝いが欲しかったからと二つ返事で承諾をしてくれた。
 祭りの前日に寄ると、宿はアガットが見たことのないほど賑わっていた。忙しい、忙しいと呪文のように繰り返しながら、それでもメリエムは満面の笑顔だ。走り回るメリエムを一瞬の間を見つけて捕まえ、アガットは尋ねる。
「エリィはどうですか?」
「こんな働き者の子ならいつだって大歓迎よ!」
 他の客に呼ばれ、「ごめんね」と一言残してメリエムは風のように去っていく。
 お皿やお酒を持って客の間を器用に縫ってゆくエリィの姿に、アガットは目を細める。一人前に働けているように見える。店主も認めるのだからそうなのだろう。
 リヴも、最近は店の表に出てくる事が増えてきている。エリィと一緒に注文をとったりと忙しくしている。
 果実水一杯でいつまでも店に居座るわけにも行かない。名残惜しかったが、アガットはお金を支払い店を後にした。
「お嬢ちゃん、迷子か?」
 そのまま大通りを上がっていくと、アガットの目の前に毛長の馬が立ちふさがった。まず目に入ったのは馬の腹、上まで目線で辿っていくとよく鍛えられた体躯の男がまたがっている。しかし、通常頭があるべき場所には肩があり、さらに見上げて頭を見つけた。
「迷子になるような年齢には見えないよ。家出じゃないかな」
「……逆よ。家に帰るの。あのさ、いつまでも初めて会った時のこと引きずらないでくれないかなぁ。虎呂、ダグラス」
 ほとんど真上を向いてアガットは苦笑した。
「ただでさえ大きいのに、そんな大馬乗ってたら怖いわよ。子供が泣くんじゃない?」
「僕はともかく虎呂は普通のに乗ったら馬がへばっちゃうんだよ」
 細身のダグラスとは逆に、虎呂はがっしりと引き締まった見るからに重そうな体をしている。ダグラスは冗談半分の口調であったが、確かに馬もつらいに違いない。
「上まで送ってやろうか?」
 返事も聞かずに、虎呂はアガットに手を伸ばす。
「上って、宮まで? 門の通行証は持ってるの?」
 虎呂の腕を掴むと体は信じられないほど軽々と引き上げられて視界が一気に広がった。
「これでも、貴族に親しい知人がいるんですよ」
 片目をつぶって微笑むダグラスに笑い返して、アガットは「お願いするわ」と馬の背を撫でた。
「年明けは大変だったんだってな。気がつかなくて悪かったな」
「ああいうことは少なからず起こるとは思っていたから、別に虎呂が謝る事じゃないわ。それよりも、あなた達の方に飛び火しなくてよかった」
「悪いようにならなくてよかったが、……これから、組織をどうして行こうかねぇ」
 独り言のように後ろから聞こえた声に、アガットはすぐに返事をする事ができなかった。
 何十年もかけて準備をしてきた人たちにかける言葉などすぐに見つかるはずもない。自分達がこんなにも短時間に物事を進めることができたのはその立場ゆえだ。
「お姫さん、なんかくだらない事を考えてるだろ。背中が丸くなってるぞ」
「わたしったら、どうしてこんなに頭が回らないんだろう」
「いいか、なんだって、一番順調に物事を運ぶことができる人がやればいいんだ。俺らは、この情報網を生かして商売を起こしたっていい。いくらだって応用がきくんだからな。どうして行こうかねぇって言ったのは別に悲観的な意味なんかじゃねえんだぞ」
「ありがとう」
 虎呂の前に座っているために彼の表情は見えなかったが、アガットは虎呂が目じりのしわを深めて静かに笑っているのが感じられた。
「……俺はな、伊羅の人間だが、もうクリエーナに住んだ時間のが長いんだ」
 しばらくすると、不意に虎呂が口を開いた。
「伊羅にはこんな華やかな祭りはない。こんな俺でもその美しさに感動した」
 大通りの石畳には二頭分の蹄の音と、地鳴りのように響く行き交う荷車の車輪の音。走り回る子供たちの甲高い声と軽い足音。彼らを呼ぶ柔らかい母親の声。花売り達の歌うような売り言葉はクリエーナの春の象徴だ。
「花はクリエーナのやつらの希望なんだな。貧しくても花祭りには花を買うし、花畑を持ってるやつらもどんなに腹が減っても、蜂のためでもあるんだろうけど最後の一面の花畑だけは潰さない。――今年の花祭りはお前らにとって特別なんだろう? 他のやつらにとってもたぶん特別だ。おもいっきり賑やかにしてやってくれよ」
「花が足りないわ。国外のどこかから買っても、クリエーナにつくまでには枯れてしまう」
 この十年で、クリエーナ中のほとんどの花畑は食物を育てるための畑に変わってしまっている。街の人たちが飾り付けに使うのはもっぱら生花ではなく、造花だ。しかしそれでさえも数が足りていない。
 虎呂が迷ったように口を開いた。
「――よその国の祭りに口を出していいもんだか迷うがな。……伊羅じゃ、祭りの日には術使いが花火を上げるんだ。夜空に咲く火の粉の花は、本物の花にも負けずにきれいだぞ」
「花火……?」
「ああ。――それとも本物の花でなければだめか」
 いいえ、とアガットは首を振る。
「いい案ね。帰って師匠やカルビエに相談してみるわ。クリエーナの花祭りはもともとはと初代皇帝の結婚式だったの。先住の民だった皇妃との結婚をもって、クリエーナという国が成立した。だから、花祭りと建国祭はセットなの。そういうわけだから花でなければならない理由はないと思うの。大丈夫だと思うわ」
 虎呂はあきらかにほっとした表情を見せた。自分の意見に自信がなかったらしい。
 馬の背に揺られながらアガットはそれについて考え込んだ。アガットと火の精はあまり相性がよくない。そこからあることを考え付いたのだ。木の精に、花の幻影を見せてもらうのはどうだろうか。たとえ幻であってもクリエーナ中の空から、色とりどりの花びらが舞い散ればどれほど美しいだろう。
「虎呂、お願いがあるんだけど」
「何だ」
「わたしを早く宮まで連れて行ってくれない?」
 花祭りは明日からだ。相談するならば、一刻も早くなくては。アガットは精霊に一足先にサエラのところに行って伝えるように命じた。
「わがままなやつだな」
 悪態をつきながらも、虎呂は苦笑して馬を急がせた。


  ☆  ☆  ☆


 その日、建国祭の儀式の終了を告げる鐘の音がクリエーナ中に鳴り響くのと同時に、ラピスだけではなくクリエーナ中の村や町に突然花びらが降った。その色とりどりの花吹雪は風からうまれ、決して積もることなく舞い散り、風の中に消えた。
 儀式の終了の鐘は花祭りの開始の合図でもある。
 ラピスの大通りには花かごを持った道化や乙女が花を撒きながら唄い、踊りくるっている。どこもかしこも賑やかな音楽が鳴り響き、静かなところなどは見当たらない。
 街中の子供たちが声を嗄らして走り回り、道に落ちた花びらをすくっては再び撒いている。
「カリョナたちのお陰で賑やかになったよ。ありがとう」
「……もう無理疲れた」
 急遽決まった花祭りを盛り上げるための演出は、さすがにサエラとアガットだけの手にはおえないと判断して精霊たちに伝達を頼みクリエーナ中の術使いに協力してもらったのだ。朝、クリエーナ中に降った花びらのからくりはそれだ。
「あーあ、街に降りたかったなぁ」
「宮の中も十分賑やかだろう?」
「屋台の食べ物が食べたかった。道化と一緒に踊りたかった。花撒きもしたかった」
「花撒きは子供の仕事じゃないか。それにしても……カリョナは変わらないね」
「師匠、きついですよ。夜の部、がんばってください」
 アガットの状態を見て、すでに予想はしているのだろう。サエラは苦笑して片手をおざなりに振った。


 夜が更けると次は本宮の大広間で夜通しの宴がはじまる。
 宴の主役はクリエーナに新しい風を吹き込んだカルビエと、祭りを華やかにした術使いのアガット。そして師匠であるサエラだ。そのうちの二人はまだ早い時間に密かに広間を抜け出した。
「遅かったですね」
「遅かったね」
 カルビエが待ち合わせの場所にたどりつくと、とっくの昔に逃げ出した宴嫌いのアガットと、宴に参加していなかったシルビアが声をそろえた。ずいぶんと待っていた、そんな雰囲気がただよってくる。
「ひどい事言わないでくれ。皇太子が早々に逃げ出したら後で何を言われるかわからないじゃないか。お詫びにこれをもってきたから許してくれよ」
 そう言ってカルビエは体の陰に隠した一本のガラス瓶を取り出す。
「広間にあった中で一番の銘柄だよ」
 とたんにアガットが渋面になる。
「お酒ぇ?」
「そう言うと思って果実水も持ってきた」
 すかさずカルビエはもう一本細身のビンを取り出す。
 渋い顔のまま、アガットはグラスを三つ取り出した。爽快な音を立ててコルクを抜いたカルビエがそのグラスに発泡する透明な液体を注ぎ入れる。
「ちょっ、わたしのとこまで入れないでよ」
「果実水で割ったら飲めるだろ」
「そうですよ〜、こういう日はお酒じゃないと」
 酔っているのだろうか妙に調子の良いシルビアにしっかり果実水で割ってもらって、アガットはやっと渋面を解いた。
「――なんとかなるもんね」
「え?」
「何が?」
 同時に顔を上げた二人を見てアガットは目を細めた。
「花祭りまでにって言ったじゃない」
 再び同時にああ、と声を上げた二人を実はそっちの方が兄弟なんじゃないのとからかってアガットは窓辺に立った。窓の外にはいくつかの明かりとそれにぼんやりと照らされる木々の影。さらに上に視線をやると春の星座が散りばめられた夜空。そしてサエラのあげる花火の欠片が時折この離宮からも見ることができる。
「みんながいたからこんなにうまく行ったと思わない?」
「うん、そうだね」
「……まるで道標みたい。なくてもきっと迷ったり、立ち止まったりしながらいつかは目的地にたどり着けるけど、あったから。いたからこんなにまっすぐうまくいったんじゃないかなぁ。カルビエもシルビアも母さまも父さまも師匠も倉庫の子供達も、虎呂やダグラスもみーんな……わたしの道標」
 意識しなくとも互いがが互いを導き、行く先を照らしてゆく。
 けれども、同時に思い出すのはしるべを見失い道に迷ってしまった者達のこと。例えばセルマは、レスターを失ってこの先どうするつもりなのだろう。アガットは黙り込んだ。
 春のやわらかい、花の香りのする心地よい風が窓から流れ込んで三人を包み込み、そのまま遠くへと飛び去っていく。
「あの、乾杯しませんか」
 シルビアが言って杯を捧げ持つ。
「何に?」
「すべてのことに。ありったけの謝罪と感謝を込めて。――未来へ」
 アガットとカルビエは顔を見合わせた。なんて重たく、希望に満ちた言葉だろうか。二人は頷き合って同じようにグラスを掲げる。
 花祭りまでに、とは言ったもののとりあえずの大きな見せかけの仕事が終わっただけで、本当に重要なことはこれから始まる。クリエーナが国を閉ざした理由はそもそも、小国が他の国にのまれずにやっていくための一つの手段だった。クリエーナのこれからの国運は彼らの肩にかかっている。
 しっかりと視線を交わして互いの覚悟を確かめ合う。
「――未来へ」
「未来へ」
「……未来へ」
 グラスが三つ、涼しげな音を立てて合わさり、気泡がはじけ散った。
 互いの瞳にあるのは覚悟と確かな信頼。
 一気にグラスを空けて、アガットは塔の最上階へ駆け上がった。すぐにその後をカルビエとシルビアが追う。窓を開け放つと、真っ先に目に飛び込んだのはサエラが上げ続ける大輪の花火。それからいつまでも明かりが消えない賑やかなラピスの街並み。
「これ、全部が私達の未来への道標なんですよね」
「――大切にしていきたい」
「誰もが過ごしやすい街にしたい」
「守りたい」
 視線を交わし、誰からともなく小さく微笑む。
「次は、姫さまの番ですよ。私達、がんばりましたからね。無事に学校ができたら、またここで三人でお祝いしましょう」
「手伝ってくれる?」
「もちろん」
「当たり前ですよ。私、今だけは特別にカルビエ様の侍女ですけど、本当は姫さまの侍女なんですからね」
 一年前の今日、アガットは真っ暗闇のなかで迷子になって逃げ出し、逃げ出した先で出会ったたくさんのものに導かれて戻ってきた。真っ暗で何も見えないと思っていたこの場所はいつだって、昼と夜を繰り返し、確かに未来へとつながっている。
 その先に何が待ち受けているかわからないが、どんな困難な道のりも、彼らは、しるべを失わぬ限り歩み続けるだろう。



 ――誰もが誰かの夢の道標  それぞれの未来への道標


― 完 ―

目次