神様のいる町


八日吹き


 外に出た瞬間に、寒い音を立てて風が吹き抜けた。白いものがちらほらと風の向こうへ飛んでいく。私は思わず首をすくめた。
「八日吹きじゃな」
 男はざりざりと下駄を引きずって小石を鳴らす。隣を歩くいつもと変わらない着物姿に何で寒くないんだろうと首をかしげる。
「そうね、ねえカミさま、神社留守にしても大丈夫なの? 八日吹きの風に乗って疫病神が来るって言うじゃない」
 夏に来た疫病神の騒ぎは記憶から、未だ薄れてはいない。
「それは東の方の話じゃな」
「ふぅん」
 八日吹きとは旧暦の師走の八日、つまり今頃に吹く強い嵐のような風のことだ。今日は、夜半も過ぎたころから嵐のようにヒューヒューと風が吹いていた。
「……なんでこんな日にこんな行事するかなー、すごく寒いんだけど」
 そう遠くない弥生町の公民館まで、小さなかばん一つ持って歩いていく。
 角を曲がった私に気がついたらしい。「巫女さーん、お待ちしておりました!」と手を振って叫ぶ姿がある。ひょこん、と門の影から子供たちの小さな頭が覗いた。
「おはようございます、今日は特に冷えますね」
 応えると門の影から数人の子供が走り出してきた。
「弥生の巫女さんこんにちはー!」
 真っ赤な頬をした子供たちに出迎えられて、私は寒いのを少し忘れて公民館に足を踏み入れた。そう広くはない空間に、老若男女合わせて30人ほどの姿がある。中央には大きなブルーシートが敷かれていて、杵と臼が設置されている。部屋の隅にはガスコンロでもち米が蒸されていて、その白い湯気がなんとも言えず暖かそうにみえてほっとした。
「準備までしてくださってありがとうございます」
 今日は「うそつき餅」の日だ。短冊に今年付いた嘘を書き、それをくべた火でもち米を蒸す。そしてついた餅を食べると今年一年についた嘘が帳消しになる、という行事だ。昔は神社でしていたらしい。だけど公民館でするようになってからは、ガスコンロに短冊をくべるわけにはいかないから神社に持ち帰ってお祓いをするようになっていた。
「はい、じゃあ巫女さん、よろしくお願いします。みんな毎年楽しみにしているんですよ」
「私もです。はじめましょうか」
 公民館の館長さんとにっこりと笑いあう。ほどなく公民館の小さな空間は餅をつく音と掛け声と、笑い声と、子供がはしゃぐ声で満たされた。
「巫女さま、おねがいします」
「はい、お預かりします。ちゃんと神様に渡しておくね」
 よく神社に遊びに来る子供の一人が裏向きにした短冊を差し出した。子供らしい強い筆圧で書いたのだろう、しっかりとマジックの色が染みて浮き出ている。
『みかが食べちゃったおかしをジョンがたべたってゆいました。』
 かわいらしいうそに思わず頬が緩む。
「実花ちゃんは何のうそを書いたの?」
 知らない振りをして尋ねると、実花ちゃんははにかんだように笑った。そして私の後ろにいたカミさまに目をやった。
「へへへ、ひみつー。おじちゃんは? 何か書いた?」
「お」
 お、と言ったきり引きつった顔をしたカミさまに、私は面白がって視線をやった。
「おじちゃんではないぞ。お兄さんと呼びなさい」
 思わず吹き出した私を、カミさまが睨む。
「子供、あちらで餅を食べてきなさい」
「――」
 じっと、実花ちゃんがカミさまを見上げる。
「おじちゃんって、どうしてそんなに偉そうなの?」
「実花ちゃん、もっと言ってやってよ」
 しかし実花ちゃんはそれ以上何も言えずに、泣きそうな顔をして走り去ると一緒に来ていたらしい母親の足にまとわりついた。カミさまが怖い顔をしたからだ。
「ちょっと、おじちゃん。なに小さな女の子泣かせてるのよ」
「……」
 さらに怖い顔をされるが、私はそんなのは怖くない。
「あら、間違えたかしら。そうよね、三千年も生きてるんだからおじいちゃんだったわ」
「無礼な」
「だったら、おじいちゃんでない証明に、元気に餅つきを手伝ってきたら?」
 返事もせずにカミさまはどこかから襷を取り出した。手馴れた様子で襷をかけて、ブルーシートに向かっていく。意識してこちらを見ないようにする様子がおかしくて、私はもう一度笑った。


「巫女は書かぬのか?」
 カミさまにも差し上げてください、とお土産に貰ってきたお餅をほおばりながら、カミさまは言った。緑茶を入れて持ってきた私は一瞬なんのことだかわからずに、湯呑みを差し出す手を止めた。カミさまは餅を持つ手と逆の手をひらひらと振って見せる。そこには今日預かった短冊が握られていた。弥生町の町民たちのささやかな嘘が書かれたものだ。
「書くわけないじゃない、だってカミさまに見られたら困るもの」
「なんじゃと? わしに見せられんような事を書くというのか」
 しまった、口を滑らせた。嘘といっても他愛のないものだ。全部祭壇に上げてしまえば片端からカミさまが全部飲んでしまうものだから、これで全部だと言った陰に隠しているお酒があるということぐらいだ。
「そうよ」
「今日、短冊に書かねば帳消しにならんぞ?」
「別にいいわよ」
 良く考えればなくなってしまっては困る。何のために嘘をついているのかわからなくなるではないか。湯飲みを乱暴にカミさまの前に置いて、私は部屋を出ようとした。絡まれたくなければそばにいないのが一番だ。
「『うそつき餅』って商人さんが日ごろあくどい商売をしてるのをごまかすためにはじめた行事でしょ。別に私が書くことないじゃない」
 もともとは、江戸時代にうまいこと言って商いをした償いに、残ったもち米をついて客にふるまったのが始まりなのだそうだ。
「身をきれいにして年を越したいと思わんのか?」
「必要なうそは仕方がないでしょ。きっと神様も許してくださるわ」
「何処の神がじゃ?」
 カミさまじゃない神様に決まっている。カミさまよりも格が上の神様はきっと許してくれるに違いない。
「どうせ酒を隠してるとかそんなんじゃろ、わしが気づいてないと思うたか?」
 したり顔で、カミさまが言った。気がついていたなら私を困らせないで欲しい。
「わかってたなら、黙って気がついてない振りしてなさいよっ」
 にやり、とカミさまは笑った。そこで私ははめられたことに気がついた。
「そうかそうか、やっぱりそうだったのじゃな」
「あー、もう、何よ。カミさまのためでしょ。毎日お酒飲んで、しまいに体を壊すわよ。カミさまには弥生町の愛と平和を守るためにもっとがんばってもらわなきゃならないんだから」
 いつ隠したお酒をよこせといわれるだろうとびくびくしながら、私は逃げるようにその部屋を出た。
 私は、カミさまを相手にいつまでお酒を隠し通せるだろうか。

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