神様のいる町


野分


 窓ががたがたと暴れている。高い笛の音に合わせて共に踊り狂っている風が、窓を叩いてまた秋の空に返っていく音だ。床の上から窓の外を見ると、暗くなりかけた空の下、木の梢が大きく揺れていた。
 野の草木を分ける様に吹くから、こういう風を野分という。風と共に鬼がやってきて実った農作物をみんな持っていってしまうからと、地方によっては風を鎮める祭りを行うところもあるそうだ。風の吹く様子を見ていると、本当に何か悪いものがやってきそうだ。
 明日までに吹き止むだろうか。
「急に寒くなったわね」
 独り言で、返事を期待してもらした言葉ではなかったのだが、うむ、と返事が返った。
「あら、来てたの」
「来ては悪いか?」
「別に」
 隙間風が部屋の熱を奪っていく。床から立ち上る冷気に、そろそろ暖房を出さないとと、しまってある押入れに視線を投げる。
「皐月のが来るぞ」
 いつの間に来たのか、のんびりと壁にもたれていたカミさまが体を起こす。皐月の竜神様だけが来るときに、カミさまが私にそれを告げたことはないから、きっと薫ちゃんも一緒だろう。
「澄子さん! 澄子さん!!」
 ぎゃあぎゃあという泣き声と共に、薫ちゃんが慌しく飛び込んできた。
 泣き声? それにしても、薫ちゃんがこんなに慌てているなんて、何があったのだろう。廊下に飛び出すとカミさまも後についてきた。
「皐月の、いつの間に子など産んだのだ」
「そんなことを言っている場合じゃありません!!」
 カミ様が不謹慎にも笑い混じりの声で尋ねるのを、薫ちゃんがきっと睨み付けて黙らせる。普段はふわふわとしているのに、こういうときの薫ちゃんは少し怖い。腕に抱えられた赤ん坊が反り返って泣き続けている。あまりの事態に、私はわけもわからずにただ突っ立っていた。
「澄子さん、この子鳥居のすぐ下に寝かされていたのです。すっかり冷え切ってしまっていて」
 泣きそうな顔でそこのお部屋に運んでもいいですかと目で尋ね、薫ちゃんはそのままそちらに小走りに向かう。反射的に薫ちゃんに道を譲っておいて、我に返って後に続いた。
 


 床に座った薫ちゃんが抱く腕ごと押入れから出してきた毛布で包んでみたが、顔を真っ赤にした赤ちゃんは一向に泣き止む様子を見せない。それどころか、息継ぎのタイミングがわからなくなってしまったように、泣き声の合間にひっと息を詰まらせている。
「これ赤子よ、泣くな」
 竜神様が困りきったように眉を寄せて薫ちゃんの腕の中を覗き込む。けれども、どうしてよいのかわからないようで、ただ声をかけるばかり。
「澄子さん、どうしたらいいのでしょう」
 弱りきった薫ちゃんが、すがるように見つめてくる。そんなことを言われても兄弟のいないそして子供も産んだことのない私には、そんな時に対応できる経験などあるわけもない。
「まったく、そのような抱き方では赤子も落ち着けぬだろう」
 横でカミさまが勝手なことを言っている。えらそうなことを言うぐらいなら、泣き止ませてくれればいいのだ。
 外では、ますます風が強くなっていくばかり。窓ががたがたと揺れる音は、私たちの不安を煽っているかのようだ。
「ほれ、かしてみよ」
 呆れ声のカミさまは、薫ちゃんに近づくと無造作に赤ちゃんを抱き取った。ほうれ、泣くな。なんてことを言いながら、妙に手馴れた手つきであやし始める。
 その手馴れた手つきとやさしい表情、甘い声に、薫ちゃんだけでなく竜神様もあっけに取られている。もちろん何を勝手なことばかり言って、と思っていた私も呆然としていた。
 みるみるうちに泣き声は小さくなり明らかに赤ちゃんが落ち着いてきたのが感じられる。
 あやしながら、カミさまが私を見る。首の動きと視線だけで命じられた内容を理解して、私は床に布団を敷いた。
 まだ少しぐずっているものの、すっかり落ち着いた赤ちゃんがそこに寝かされる。息をつめて寝かされるのを見守っていた私たちに、一仕事終えてふぅと息をついたカミさまが顔を上げた。
「それにしても、いつぞの間に子供を産ませたのかと思うたぞ」
 その目には、いつもと変わらない人をからかうような光が見える。こんなときでも、ペースを崩さないことに感心しながら、けれども状況を少し読むべきなのではないかと呆れる気持ちも隠せない。薫ちゃんなんて、顔を真っ赤にしてうつむいてしまっていた。
 この件にはこれ以上触れないほうが薫ちゃんのためだろう。私は、話題を変えることにした。そもそも、本題から話がずれてしまっている。
「薫ちゃん、この子の他に手紙とか置いてなかった?」
 はっと、顔を上げて薫ちゃんはしばらく考えるように首をひねった。それから頷き、口を開く。
「ありませんでした。……この強い風ですから、もしかしたら飛ばされてしまったのかもしれません」
 それから、確認するように竜神様を見上げ、二人で何かしらの意思の疎通があったのだろう頷き合っている。
「この子、捨てられたのかしら。ねえ、カミさま。どうしよう」
「どうしようもこうしようも、とりあえず今晩は預かるしかないじゃろうな」
「だけど、どうしよう。うちじゃ預かれないわ。赤ちゃんなんて育てたことないし。こんなに寒かったから、もしかしたら体調崩すかもしれないし。そうだ! 薫ちゃん、おばさんにおねがいできないかな」
「聞いてみます。電話お借りしますね」
 子供が泣き止んだことでほっとしたのだろうか、入ってきたときよりも幾分か落ち着いた様子で薫ちゃんが部屋を出て行く。
「子捨てか。今の世にもあるのだな」
 暗い声で竜神様がぼそりとつぶやく。竜神様がそんなことを言うから、大きな布団に寝かされた赤ちゃんはあまりに小さく頼りなく感じられた。
 カミさまはその傍らに胡坐をかいて、ぽんぽんと赤ちゃんの胸を叩いている。親元にいるかのようにすっかりと安心しきっている表情を見ると、頼りなさは少し和らいだ。
「ねえ、カミさま。何か気がついたことはある?」
「いいや。ただ、この町の子供ではないのだけは確かだ」
「そうよね、私も見たことないもの。どうしよう、警察とかに届けたほうがいいのかな」
 深刻な話をしているのはわかっているけれど、長身のカミさまとちいさな赤ちゃんの対比がなんだかおかしくて私は頬が緩みそうになるのをこらえていた。
「澄子さん。母に連絡しました。もしかしたら赤ちゃんのお母さんが戻ってくるかもしれないし、そのときに大事になったらお母さんも子供もかわいそうだから、明日まで待ってから警察に連絡してはどうかと。それまでは面倒を見てくれるそうです」
 戻ってきた薫ちゃんが、赤ちゃんの枕元に座り込む。
「ですが、せっかく眠ったところですのにどうやってつれて帰ったらよいのでしょう」
 困り果てた顔で竜神様を見上げているが、見上げられた竜神様も同じように困った顔をしている。どうやっても泣き止ませることができなかったつい先ほどの記憶が寝た子を抱き上げる手をためらわせているようだ。触るだけでもためらうというのに、それをだいて家まで戻るとなるとさぞかし大変なことに違いない。
 カミさまは、しばらくそんな二人を面白そうに眺めていたが、やがてやれやれと腰を上げた。そしてまた泣き出すのではないかと心配になるほどに無造作に赤ちゃんを抱き上げる。赤ちゃんは少しだけ身動きをしたけれど、目は覚まさなかった。
「ほれ」
 恐々と赤ちゃんを抱き取った薫ちゃんの顔が、寝顔を見てたちまちほころぶ。ふぁ、と小さな口から声が漏れただけで、慌てた顔をして腕をゆっくりと揺する。そのくるくると変わる表情をみて、竜神様のこわばった顔もやがて緩んだ。
「また泣き出す前に連れて帰るといい。手間をかけるな。すまん」
 薫ちゃんと竜神様と赤ちゃんは、竜神様が作った道を通って帰っていった。
 この話の結末は、物語によくありそうなものだ。
 夜も更けてきたころ、母親が泣きながら私の家の扉を叩いた。皐月神社にいると教えると、礼もそこそこに走り去った。二時間ほどして、薫ちゃんのお母さんから赤ちゃんが無事にお母さんのもとに帰ったと電話があった。
 無事にお母さんが見つかって赤ちゃんは無事に戻った。一見いい結末にみえるけれど、赤ちゃんが捨てられたのは事実で、「よかったね」だけではすまない事件だった。せめて、野分がお母さんに悪いものを運んできた、たった一度だけの気の迷いであればいい。

 すべてが終わって、それでも気になって仕方がないことがある。カミさまがあれほど赤ちゃんをあやすのが手馴れていたのはなぜなのだろう。

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