神様のいる町


七草粥



唐土の鳥が 日本の土地へ 渡らぬさきに
ななくさ なずな ななくさ なずな

 厚い布越しに土鍋の取っ手がじんと暖かい。水仕事で冷えた手に返るこの奇妙な感覚は、とても冬らしいと感じるのだ。
「七草粥か」
「そうよ」
 鍋敷きに土鍋をおろして、私はこたつに潜り込む。
「お正月の暴飲暴食で疲れた胃を休めてくれるんでしょう?」
 神社の年末年始は言葉で言い表せぬほどに忙しい。暴飲暴食などしている暇などないのだと皮肉をたっぷり込めたのだが「長寿を祝うともな」となんとも張り合いのない返事が返った。
 それを見てふと思う。今年のカミさまには七草がゆは必要なさそうだ。
 忙しさにかまけて気付いていないつもりになっていたが、去年の暮れからカミさまはほとんどお酒を飲んでいない。それどころか、年が明けてからはふさぎ込むように片膝を抱えてうつ向いているようなことが度々あった。
「――なにかあったの?」
「いや……」
 よそったおかゆを受け取って、カミさまはおはしを持ったままらしくない溜め息をついた。
「のう、巫女。わしが無理矢理巫女を神社に留めたこと、恨んでおるか?」
「何を今更」
「巫女の叔母君が巫女を引き取るのを妨害したのが、このわしだと言ってもか?」
 知ってる、と口の中で呟く。人が四畳半の部屋でうずくまっている間にカミさまが何かをしたらしい、ということは今は日本にいない叔母の言葉の端々から読み取れる。

 カミさまがいつからおかしいのか。それは思い返せばすぐに心当たりが見つかった。それは暮れに、お客様が訪ねてこられてからだ。


  ※  ※  ※


「すべては、わたしが『ん』に会ってからなんです」
 話を切り出した彼女の名前は内野まひるさん。そのお隣で長身を窮屈そうに縮めて座っているのが従兄弟の田中朝さんだ。二人とは去年の重陽の祭りが縁で知り合った。
 内野さんの言葉を継いで、田中さんがここを訪ねた経緯を説明していく。その合間に、ひょこりとしずちゃんが顔をのぞかせて、お茶を並べていった。
 家の近くにもお祓いをしてくれる神社はあるだろうに、彼女たちが弥生神社を選んだのは目に見える形でカミさまがいるからだろう。この二人は、普通の人には見えないカミさまの姿を見ることができたのだのだ。相談事というのはまさしくそれで、奇妙なものが見えるようになってしまった原因を祓って欲しいとのことだった。
 私は二人がカミさまを頼って来たことに気がついていてだけれどそれが嫌で「宮司を呼びましょうか」と切り出した。ご存知の通り弥生神社には今、宮司はいない。だから五月のおじさんを呼んで祓ってもらってはどうだという意味だ。
「その必要はない」
 それをさえぎって、カミさまは懐から二枚の人型を取り出した。目だけで私に構わないからと言って、二人に人型を差し出す。人型というのは人の形に切り抜かれた和紙で、名前と生年月日を書き込んだそれで体を撫でると穢れが人型に移るというものだ。あとは、それを火にくべるか、川に流してしまえば穢れを祓うことができる。
「晦日が近いじゃろ。これを使えばまあ、何とかなるのではないか?」
 六月と、年の暮れは特に禊が行いやすい季節なのだ。
 その後、カミさまは田中さんだけを呼んで二人きりで随分長い間話し込んでいた。その間、私は内野さんに今までに出会った不思議なもの達の話を聞いていた。きっかけになった「ん」のこと、不思議な桜のこと、この二人と親しくなるきっかけでもあったキツネのしずちゃんと狸のたろうくんのこと、化け猫の鈴木さんのこと。そして、ちょっと怖かったひゅるひゅるおおかみのこと。二人が原因を祓おうと思ったのは、内野さんがひゅるひゅるおおかみにさらわれそうになったことがきっかけだった。
「朝兄は、――両親を一度に事故で亡くしているから、失うことを怖がっているんだと思います」
 そんなことまで喋るつもりはなかったとでも言うように、言ってしまってから内野さんははっと口をつぐんだ。そんな内野さんを見て、私は今の発言は聞かなかったことにしよう、とさらりと聞き流したのだった。きっと、カミさまも田中さんから同じ話を聞いたのだろう。聞き流した私よりも詳しく、細かなところまで。
 カミさまは、私がカミさまと関わることになった「原因」を押し付けた張本人だ。だから、田中さんの話を聞いて、何か思うことがあったのだろう。


  ※  ※  ※


 無言の、寂しい食事をさっさと終えると、内野さんと田中さんに渡したものと同じ人型をコタツの上に残してカミさまは立ち上がった。
「……何よ、これ」
 本気で意味がわからずに慌てて追いかけたが、カミさまの姿はすでにどこにも見つけることができなかった。

 両親が亡くなった時、本当は弥生神社は取り壊されるはずだった。祖父母は、まだ私が幼いうちに亡くなっているし他に継ぐことができる親しい親戚はいないこともあって、叔母が継ぐ話もあったが、叔母は会社員と結婚しておりその都合で遠くに住んでいてこちらに戻ることはできなかった。理由は知らないが、そもそも叔母夫婦に引き取られるはずだった私が神社に残ることになったのはすべてカミさまのせいだ。
 最近では間遠になったが今でも叔母から、私が話した覚えのない“私”が話したのだという会話を引用した手紙が届く。その中には必ず社交辞令や、決められたフレーズだから、ではない意味の「神様によろしくお願いします」といった内容の言葉がよく入っている。

 カミさまは、いつもわがままで強引だ。
 だけど、後でこんな風にするぐらいなら、最初からすべて説明して、納得させればよいではないかと思う。
 今は、やりたくて巫女をしているのだと、押し付けられたわけではなくこの神社を思っているのだとカミさまに伝えるべきだろう。
 人型を机に残したまま、使い終えた食器類を持って流しへ持っていく。
「……別に心配することなんて何もないのに」
 窓から見える鎮守の森の端にカミさまの姿を見とめて、私は口の中で呟いた。
「一生この神社にいられるように、神社を守っていけるように」
 勉強して一生懸命修行して、弥生神社の宮司として一日でも早く浅葱色の袴がはけるように。
「私が浅葱の袴をはくようになるまですぐよ。待っていて」
 それが聞こえたのか、カミさまはゆっくりと振り返った。

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