神様のいる町


風光る


 弥生神社の梅が咲きそろった朝、カミさまの元に修行に来ていた狐のしずちゃんは梅を一枝持って川先の山に帰っていった。まだ寒さの残るそよ風に、梅が柔らかく香る。
「さてと、掃除はじめますか。」
 梅が咲くたびに私はあの春を思い出す。
 あのころ、カミさまはとにかくむちゃくちゃで、私はカミさまのことが大嫌いだった。


 あの春――二年前、両親が揃ってかえらぬ人となった春のこと。


「腹が減った。なにか作れ」
「……どうせカミさま、おなか減っても死なないんでしょ。自分でなんとかしたら?」
 ため息をついて、カミさまはごろりと部屋の真ん中に横になった。
 横になりたいのは私の方だ。体が重くて重くて、とうてい動かす気になれない。体調が悪いとかではなくて、とにかく何をする気にもなれないのだ。
 どうして私の部屋にいるのだろう。私はカミさまから視線をそらしてもそもそと膝を抱え直し、顔をうずめた。
「ワシがここに居座るのはさぞかし邪魔であろう?」
 私の心を読んだようにカミさまは言う。わかっているならどこかに行ってくれればいい。ひとりになりたい。
「別に……」
 カミさまはまた起き上がってあぐらをかいた。四畳半のせまい私の部屋は、真ん中に神様がいるだけでさらに狭くなる。圧迫感でなんだかうまく息が出来ない。
「神殿はすっかり埃が積もってのう。知っておるか? 人の入らなくなった建物は朽ちるのが早いんじゃと」
 カミ様がパチンと指を鳴らすと部屋の明かりが灯った。薄暗かった私の部屋はたちまち明るくなって、私はその明るさから逃れるようにさらに身を縮めた。
「そう……」
 要するに、掃除をしろと言いたいらしい。
「電気なんてつけてくれなくていいから、その便利な力で掃除でもなんでもすればいいじゃない」
 私はそこで言葉を切って顔をあげた。
「――かまわないでよ。私のことはほっといて。少しぐらい泣かせてくれたっていいじゃないのっ」
 どうしたらいいかわからなすぎて、一人になっても泣ける気はしなかったけど。だけどとにかく一人になりたくて、なのにカミさまは容赦なく部屋に入ってくるのだ。
「……弥生神社を守るものはもはやお主しかおらぬというに」


 ため息まじりの呆れ声は容赦なく私を崖淵まで追い詰める。
 どうしてみんな、たった十六の小娘が神社を守っていけると思うのだろう。今までろくに手伝いもしたことがなかったというのに。


 カミさまは何もしてくれない。だったらなんのために神社にいるのだろう。
「昨日も子供らが神社に遊びに来てなぁ、砂利を蹴飛ばしていきおったわ。参道は塵一つ落とさぬものじゃ。たった三つの子供でもそれぐらいはできようて」
 今日も朝から私の部屋にやってきた神様は誰に言うでもなく ―と言ってもほかには私しかいないのだけれど― ぼそりとつぶやいた。
「うちの巫女はたしか十六になると思ったが……」
 ぶち、と頭の中で何かがぶち切れる音がしたような気がした。連日、昔は12の小娘も立派に働いていたとか、いろいろ呟かれれば誰だって堪忍袋の緒が切れるというものだ。
「わかったわよ。掃除すればいいんでしょっすれば」
 ざかざかと参道を乱暴に掃いて、拝殿に上がると扉をすべて開け放った。いっそ参道だけやって部屋に帰ろうかと思ったけど、中途半端は嫌いでしかたなく建物内も手をつけたのだ。
 拝殿も神殿も神楽殿もあんなに言われるほど汚れていなかった。お姑さんにいじめられる嫁ってきっとこんな気持ちなんだろう。
 だけど、疲れきった私は久しぶりにうなされることもなく朝までぐっすり眠ったのだった。

「おい、巫女。朝じゃ。起きよ」
 翌朝、頭までかぶっていた布団の中で私はぱっちりと目を開いた。
 ちょっと待て、今、何かあり得ない声を聞いた気がする。いくらカミさまでもさすがに、身支度も終えていないうら若き乙女の寝室に無断で入るのはまずくないか。
 私はさりげなさを装って起き上がりしな、枕元にかがむカミさまの脛に肘鉄をくらわせた。
 ゴ、と鈍い音がしてさすがにやりすぎたかと身を竦ませる。眉は跳ね上げたけどカミさまは、それについては何も言わなかった。
「のう巫女よ、一度できたものが二度できぬとは、まさか言わぬな?」
 私とにやりと笑ったカミさまの目の間に小さな火花が散った。


 タタタタタ……と雑巾を持って右から左へ、左から右へと駆け抜ける。
 なんだかあのころはうまく乗せられて、とにかくいろいろ仕事を覚えた。それはいつの間にか日々の当たり前の生活になった。私はその年の秋にはすっかり立ち直っていて、規模はいくぶんか小さくしたものの五月のおじさんに手伝ってもらって重陽の秋祭りもしっかり開催して無事に終えた。去年はしずちゃんがいたり、まあ、いろいろあって氏子衆に涙ぐまれるほど盛大な祭りとなった。
 掃除に使った用具をすべてきれいにしまって簡単に身を清めると、台所に入って神饌を整える。お酒とお米と塩と油揚げを祭壇に上げて、次は自分の食事に取りかかった。
 つい、しずちゃんが帰ったことを忘れて「手伝って」と声を上げそうになり、口をつぐむ。
「今日の朝飯はなんじゃ?」
 変わりにカミさまがのそりと顔を覗かせた。
「お味噌汁と海苔」
「……しんぷるじゃのう」
 なんていうか、三千年も生きた年寄りがシンプルとか言わないで欲しいんですけど。
「うっかりしずちゃんのぶんまで作っちゃったの。なんなら食べる?」
「おう」
 食卓にカミさまの分と私の分との用意する。きっと、私が作りすぎたのを知って覗きにきたのだ。
 「お先にどうぞ」と言い残して用事に立ち、しばらくして食卓に戻ると出した覚えのない、ついでに言うとうちの冷蔵庫にもなかったお漬物が机の上の小皿に品良く並んでいた。しかもカミさまの前にカミさまの分だけ。
「カミさま、これはなんなの?」
 私はあきれて尋ねる。
「見てわからんか、漬物じゃ。……巫女も欲しいのか?」
 昔からずーっとこんな感じなのだけど、どうしてカミさまってろくなことに力を使わないのかしら。そしていつも思うのだけど、こういうものはどこから持ってくるのだろう。
「そんな得体の知らないものいらないわよ。――そんなことにチカラを使うくらいなら、弥生町の愛と平和のために使いなさいっ」
 カミさまは「まったく、巫女は素直でないのぅ」とつぶやいてポリポリと漬物を咀嚼した。
 私は、思いっきり盛大なため息をついた。まあ、カミさまが力を使わずにいられる世の中ってのは平和なんだなぁと頭の中ではわかってはいるのだけれど。


 どこからか風が吹き込んで梅の香りが部屋を通り抜けていった。

目次