神様のいる町


神無月


 普段よりも幾分か早く、竹箒を持って境内に出た。つい先頃までの暑さが嘘のような涼しい秋の風が朱袴を揺らして吹き抜ける。
「カミさまが留守だと静……」
 うちの神社にいるにぎやかでさわがしいカミさまがいなければ、静かで平和だと続くはずだったがその言葉は喉の奥に消えた。
「……えーと、」
 うまく言葉をつむげずにそれを見つめたままいたずらに時は過ぎていく。やがて境内の一角に立ち止まったままの姿を不審に思ったのか水干姿の少年が稚児結いの髪を揺らして駆けてきた。
「どうかしましたか」
 事務的な問掛けに私はすっとそれを指で示した。
「ねえ、これ、何だと思う?」
「藁人形ですね」
 答えはなんのためらいもなく、きっぱりと抑揚のない声で告げられた。


 今は十月、神無月の二日。神無月には全ての神様が出雲に集まって会議をするのだという。そんなわけで、うちの神社のカミさまは昨日から留守にしているのだ。カミさまが留守にしたほんの翌日に、こんなことが起きるなんて、一体誰が想像できただろうか。
 錆びた五寸釘で太い楠の幹に縫い止められた藁の人型を、正宗が無造作にむしり取った。
「そんな適当にいじっていいものなの?」
 正宗が目だけでこちらを見た。なんだか馬鹿にされたような気がして負けじとそれを見返す。楠に残った釘とちぎれた藁がなんだか妙に生々しい。
「大丈夫です。手順を誤ってますから呪物としては成り立っていません」
 信じられないものを見たショックでショートした思考回路がやっと戻ってきた。
「込められているのは恨みというよりは嫉妬みたいですね」
「そんなのわかるんだ」
「ごくわずかずつですが、モノはヒトの感情を吸いますから」
 それにしても物騒だ。はは、と意識しないうちに口から乾いた笑いがこぼれた。
「こんなのに頼っちゃうぐらい誰かを嫉妬するなんて、何があったんだろうね」
 呟いた私の隣で正宗が藁人形の腹を探って何かを引っ張り出した。一本の黒い、長い髪だった。ちろりと正宗の目が私を見る。その目からは何の感情も読み取ることはできなかった。

 長い、黒髪? それって……

 後ろで一つに結んだ髪を掴んで見る。長さは同じぐらいだ。
「ちょ…」
 思わず正宗の両肩を掴むと、冷ややかな目で見返して彼は私の手から逃れる。
「主様とは話せませんよ。出雲は連絡が取れません」
「なんでこんなときにー。役立たず!」
「ですから、言ったではありませんか。手順を誤っているから呪物としては成り立たない、と」
「えー、えー、なんなのよーなんで私なのよ」
 正宗は疲れたようなあきれたような感じに息をついた。
「聞いてませんね。……貴女は何故、自分だと? 何か嫉妬されるようなことをしたのですか?」
 聞いてるわよ、冗談で騒いでるんじゃないのと声に出さずに反論する。ぶんぶんと激しく首を振りながら、確認の意味を込めてここ最近の動向を振り返ってみた。心当たりはかけらもない。
「じゃあ、だれなのかしらね」
 呟いた視線の先、正宗の手の上で藁人形は燃え上がった。きっと正宗が燃やしたのだろう。激しく燃えたせいか、彼の掌には灰すら残らなかった。

 その日一日、体はいつも通りに働いていたけれど私の頭の中は朝からずっとエンドレスリピートでぐるぐると同じことを考えていた。仕事を終えてお風呂に入って、夕食も食べて。だけど誰かに吐き出さなきゃ気になって夜も眠れない気がした。こんなことを話せるのは薫ちゃんしかいないだろう。彼女は、昔から家族ぐるみで仲良くしてもらっている隣町の神社の娘だ。
「もしもし、おばさん? お久しぶりです」
 そらで覚えている番号を押す。いくつかの発信音の後に電話に出たのはおばさんだった。久しぶりね、最近ちゃんと食べてるの? また遊びにいらっしゃいね、話し好きのおばさんに付き合って五分ばかし、時が過ぎる。大抵聞かれることは同じことなので馬耳東風もいいところだ。
「そろそろ薫にかわらなくてはね。あぁ、そうそう、そうなのよ。あの子ったら学校でね、文化祭の劇! なんと主役に選ばれちゃったのよ。脚本ももうもらったとかで今一生懸命に練習してるわよ。――え、何って? なんだったかしら、そうよ和風のシンデレラだとか言ってたわ」
「和風の、シンデレラですか?」
 しかも主役に? あのおとなしい薫ちゃんが自ら立候補するなんて、そんなことはたぶんないだろう。きっとクラスメイトたちから推薦されたにちがいない。和風であればなおさらだ。薫ちゃんの外見は、日本人形のようだから。それとは別に私の頭は別のところで忙しく動き始めた。小さな予感があった。
「もしもし、澄子さん?」
「しばらく遊びに来ないと思ったらそういうことだったのね」
 聞いたばかりのネタでからかうと、照れたような声が母から聞いたのかと尋ねる。
「そうよー。なんで教えてくれなかったの」
「……教えたら、澄子さんきっと見に来るでしょう」
 今にも消え入りそうな恥じらいを含んだ声に、思わず抱きしめてしまいたい衝動にかられたが、電話越しにはそれもできるわけもない。
「もちろん行くわよ。それ、キャストなんかはどうやって決めたの?」
 何気無い世間話を装って聞きたいことを確実に聞き出していく。結果、主役候補だったのは薫ちゃんとは別に二人いたことがわかった。彼女達の名前さえ聞ければ十分だ。後は意味のない雑談に興じ、それほど遅くならないうちに電話を切った。
「あーあ、薫ちゃんのクラスの緊急連絡網が手にはいればな……」
 電話の側に立てられたままほとんど触ったことのない電話帳をぱらぱらとめくる。しかしすぐに自分の無謀さにあきれた。このあたりは古い町だから親類縁者が比較的かたまっていたりする。電話帳に一つの苗字がいくつもいくつも並ぶことも珍しくない。
「あー、もう、馬鹿だ」
「……今、来ていますよ」
 電話の傍ら、廊下に座り込んだままの私の横にいつの間にか正宗が立っていた。
「来てるって何が?」
 一瞬後に馬鹿な質問だったと苦笑いをする。また、誰かが神社に釘を打ちに来たのだろう。
「危なくない?」
「ですから」
「手順を誤ってるから呪物としては成り立っていないんでしょ」
 言われる前に言ってやると正宗は冷ややかな目で私を見おろした。うーん、どうもカミさまがいないと調子が出ない。
「足止めしてくれない? 彼女……彼女よね? 話がしたいの」
 ふい、と正宗が外に出て行く。私もその後を追った。


「こんばんは、おねえさん。ウチの楠に釘打つのはやめてくれないかな」
 楠に向かう少女の影を踏む正宗の姿は、きっと彼女には見えていない。私が話しかけると、トンカチをもった手がびくりと止まった。
「伊藤麻衣子さん? それとも」
 もう一人のほう? 吐息だけで彼女は答えた。
「……伊藤、麻衣子です」
 彼女の手からトンカチがするりと落ちた。屈んで土をえぐったトンカチを拾い上げると彼女は息を飲んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 こんなことをするつもりは、泣き出した伊藤さんは薫ちゃんと張れるぐらいおとなしそうな少女だった。
「なんで」
 彼女が落ち着くまでは聞いちゃいけないと思っていたのに、ほろりと口からこぼれ落ちてしまった。
「わたし、五月さんがうらやましくて」
「だったら自分で言えばいいじゃない? こんな暗い神社に来れる勇気があればそれぐらい簡単だと思うけど」
 こんな、私情をまぜた態度をとってはダメだ。落ち着け私。そんなにきつく言ったら彼女が泣き喚いたりするんじゃないかと思ったけど、伊藤さんはそれ以上泣かなかった。
「……言ったら何か変わりますか」
「――それはわからない。変わるかもしれないし変わらないかもしれない。だけど、五月薫はきちんと話を聞ける人だよ」
 きっと彼女もそれはわかっていたのだろう、こくんと一つ頷いた。
「明日、話してみます」
 放してあげてとも何も言わなくても、正宗は彼女を解放している。ぺこりと首だけで会釈して彼女は駆け去った。

 こんなので何か変わるのかな、と思う。たった三分ほど話しただけで何かが変わるなんて、そんなことないと思うのだ。
 伊藤さんと友達になったと薫ちゃんから電話がかかってきたのはそれから数日後のことだった。不思議そうにしながら「澄子さんによろしく伝えて欲しいと言われましたよ」と薫ちゃんは言った。劇の脚本も、少し変わったらしい。

目次