神様のいる町


青嵐


 “それ”が来たのは寝苦しい真夏の夜のこと。

 この所、あまりの暑さに眠りの浅い私は、けたたましい笑い声に目を覚ました。
 はた迷惑な騒音の出どころはどうやらうちの神社の本殿らしい。本殿には人工のものではない明かりが、煌々とともっていた。はっはっはっはっはと何がおかしいんだかさっぱりわからない笑い声がまたもれ聞こえた。
「……カミさま、それ、何?」
 いや、誰と聞くべきか。ボロきれのような布を纏った“それ”は、何本も並べた一升瓶を挟んでカミさまの向かいにうずくまっていた。
「それたァ無礼な。わしゃァ疫病神よ」
 薄汚れたぼろぼろの頭巾の隙間から、濁った鋭い目がギョロリとこちらを向いた。その目に射抜かれた瞬間、背筋がぞくりとして、冷たいものが流れた。

 怖い。

「あ……」
 反射的に身を引いて、背中を向けかけたがすんでのところで踏みとどまる。自分を落ち着かせるように大きく息を吸ってカミさまを睨み付けた。
「な、……なんでそんなもん呼び込んでんのよ。疫病神ですって? 和気あいあいとお酒呑んでるんじゃないわよっ弥生町の愛と平和を守るのがカミさまの仕事でしょ!」
 あぁ、悔しい。声がうわずった。
「まあ、もう一本呑め」
「ありがてェ」
 カミさまは私のことなんて無視をして、瓶ごと“それ”にお酒を勧める。先日、酒屋をしている氏子さんが納めてくれて祭壇にあげたばかりのものだ。“それ”は瓶を受け取ってほくほくと笑った。いや、布のせいで本当は表情など見えないのだが、そんな感じがしたのだ。
 だけどそんなことなんてどうでもいい。なんでカミさまはこっちを見ようとしないのかしら。きっとうしろめたいことでもあるに違いない。
「――ちょっと、無視してんじゃないわよっ」
 目さえ見なければなんのことはないただのボロ切れだったからその頃には、“それ”が怖かったなんてことはすっかり頭から消えていた。


 鎮守の杜は蝉にとって、とても居心地がいいところらしい。大音響のスピーカーに包まれているんじゃないかと錯覚するぐらいにセミがぐわんぐわんと鳴いている。
 昼過ぎに薫ちゃんが遊びに来た。高校の夏休み登校の帰りにそのまま来たのか制服を着て、長い髪が暑いのがポニーテールにしている。
 まずは麦茶を振る舞って、それから“それ”を見せると薫ちゃんは律儀にも「はじめまして五月薫と申します」なんてぺこりと頭をさげた。
「ヤァヤァ、かわいい嬢ちゃんだ」
 一升瓶が三本も開いている。そのせいか“それ”は私にしたのとは大違いの上機嫌な対応をした。
 こんなわけだからと薫ちゃんに竜神さまを呼んでもらうと、竜神さまは相変わらず騒々しく笑う“それ”を見て苦笑した。
「気にすることはない。弥生のにまかせておけばいい」
「まかせておけって……うちのカミさま、一緒に呑んでるだけですよ」
 カミさまが顔を上げて盃をかざした。
「おう、五月のも呑むか?」
「遠慮します」
 ほんとにまかせて大丈夫なのかしら。見上げると竜神さまは困ったように首をかたむけて私たちを外にうながした。
 はーっはっはっはっは、気味の悪いあの笑い声が私たちの背を押した。背中がさわさわとして落ち着かない。


 竜神さまはあぐらをかいて着物の袖に手を入れた。
「しかし珍しいこともあるものだ」
「何がですか?」
「あれは花の季節、春に花と共に散るものなのだよ。奈良の大神神社なんかで鎮花祭をするだろう?」
 鎮花祭は行疫神、つまり疫病神である大神、狭井のニ神を奉ることで鎮める祭りだ。
「竜神さま、ほんとにまかせといて大丈夫なんですか?」
 カミさまはそんなたいそうなことはしてなくて、ただ酒を呑んでいるだけだ。
「ああいうモノは奉って鎮める。弥生のがしているのも『奉る』方法のひとつだよ」
 奉る方法の「ひとつ」に妙に反応してしまうのは私だけだろうか。つまりは他にも色々と方法があるにも関わらずカミさまはあの方法を選んだわけだ。
 話が一区切り付いたところですっかり濡れた麦茶のコップを手に取った。指先からその冷たさが上がってきた。体がぞくりと震えた。ちょっとクーラーがききすぎただろうか。
「薫ちゃん寒くない?」
 返事も聞かずに立ち上がると薫ちゃんは不可解そうな顔で相槌を打った。


「ところで竜神様、ああいうのってどのくらいかかるものなんですか?」
 私が本殿を指差すと竜神様はひょいと片眉を上げた。
「昨夜からだと言ったね?」
「はい」
「……おかしいな」
 滅多に人を不安にさせるようなことを言わない竜神様の一言に私だけでなく薫ちゃんまで眉を寄せた。
「そのはずなんだが――まあ、弥生のと飲み交してる間は悪さはできん安心するといい」
 少し見てこよう、そう言って立ち上がった竜神様に続いて私と薫ちゃんも後に続く。
 本殿は相変わらずの、いや、それ以上にヒートアップして盛り上がっていた。お互いを挑発し合い囃し立てて代わる代わる盃をあおっている。部屋はむっとした酒の匂いに満ちていて、気持が悪くなるほどだ。その匂いに胸がむかつくまえに、顔をしかめて扉全てを開け放った。そして林立する一升瓶を片付けようと部屋に一歩踏み入れる。充満する酒気に頭がくらりとした。とっさに柱を掴んで体を支える。
「澄子さん!?」
 頭の中が真っ白になったところに薫ちゃんの鋭い声が飛んだ。
「大、丈夫」
 でも、と薫ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「弥生の」
 竜神様が何気無い、でも少し固い声でカミさまを呼んだ。
 カミさまはわかってるとでも言うようにめんどくさそうに手を振った。まとう気配が畏怖を感じさせる近寄りがたいものにがらりと変わり、目の色もいつもの黒色からすっと金色に変わった。
 はっはっはっはっは、弾けるようにボロ切れは笑って、からんと持っていた瓶と盃を床に放った。
「このくらいで勘弁してやらァ。弥生のキツネにゃあ負けた」
 それからぐりんと首を回して竜神様を振り返る。
「次はテメェんとこに邪魔しようかィ」
「歓迎しますよ。是非おいで下さい」
 にこやかに返答する竜神様を不安そうな顔で薫ちゃんが振り仰ぐ。“それ”におだやかに笑いかけて竜神様は本殿に足を踏み入れた。どこからともなく強い風が建物に吹き込んだ。
「はーっはっはっはっは、冗談よ。冗談。久々に楽しませてもらったワ」
 だんだんと風がきつくなって私と薫ちゃんは顔をかばうように腕を上げる。
「旨い酒だったなァ」
 ボロ切れのような服をばたばたとはためかせて“それ”は満足したようにつぶやいた。
「こーんな旨い酒を楽しく呑んだのは久しぶりだァ」
 どこか哀愁を感じさせる疲れたような声。きっと、形式通りに堅苦しく奉られたことはあっても、こんなふうに楽しく相手をされたことはないのだろう。なぜなら彼は疫病神で歓迎されるものではないからだ。
 私は“それ”に向かって頭をさげた。カミさまにするような、正式な腰を深く折る礼だ。

 はっはっはっはっは、最後に高笑いを残して、突然“それ”は大量の花びらの中に姿を消した。
 部屋に吹き込む強い風がその花びらをさらって外に流れ出した。花びらどうしがふれあってさらさらと音を立てる。
 その吹き乱れる花びらの中でカミさまがゆっくりと立ち上がった。
「おい、巫女」
 そのカミさまにも丁寧に頭を下げる。
「今すぐ寝ろ」
「はい?」
 わけがわからずに眉をひそめるとカミさまの手がのびてきた。
「やはりな、あれにあてられたのじゃろ。熱がある」
 上目使いに額に当てられた手を見上げる。熱? そんなわけは、と自分で額を触るとひやりとした。やっぱり熱なんてないじゃないのよ。
「熱なんか」
「澄子さんの手が熱いからです。顔色、悪いですよ」
 そういう薫ちゃんの方が顔が赤い。言おうと口を開くと竜神様が苦笑した。
「薫のは酒気に酔ったせいだ。お気になされるな」
「でも……」
 風邪を引いたとか、そんな気だるさはどこにもない。あるとすれば若干の肌寒さ。後から考えると真夏の晴天の下で肌寒く感じることは、十分に異常だったのだけれども。
「強情なやつだな」
 次の瞬間、私の足は地面から離れた。驚いた顔の薫ちゃんの顔が逆さまに目に映る。
「ちょ、何すんのよ!」
 ようやく状況が飲み込めた。私は、カミさまによって誘拐よろしく肩の上に担ぎ上げられたのだ。カミさまは返事もせずに機嫌よく鼻歌を歌いながら私の自宅へと歩いていく。
「自分で歩けるわよ。ちょっと、降ろしてよ。降ろしなさいよ」
「病人が何を言う。おとなしくしておけ」
「……この姿勢が苦しいの! ちょっと考えたらこれが病人運ぶのに適さない方法だってことぐらいわかるでしょ」
「ほう、病人と認めるか?」
 少し離れて竜神様と薫ちゃんがついてくる。二人は顔を見合わせて笑っている。カミさまはきっと意地悪い顔をして笑っているに違いない。
「ちっとは竜神様を見習いなさいよ。絶対薫ちゃんをこんな運び方しないわよ」
 薫ちゃんと竜神様が声を上げて笑っている。その笑い声を聞きながら、私はようやく自分の体の不調を自覚した。あの馬鹿騒ぎの片付けは誰がするんだろうなんてぼんやり思いながら肩の上に揺られて部屋に戻った。

 この後、私は二日ほど寝込み、夏の日に突然紛れ込んだ非日常はこうして幕を閉じた。

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