ささやかな楽しみ ノックと同時に扉を開く。部屋を間違えたと思った。一度外に出て、扉に下げられた教官名を確認する。確かにカリョナの名が刻まれている。そうだろう、以前に訪ねてきたときも確かにこの部屋だった。 「すいません、あってます」 応接のソファで、客として部屋にいるにはあまりにくつろぎすぎている風情だったリヴは、慌てて立ち上がる。背丈に対して手足が少し長い彼のひょこりとした動きは、まるで操り人形のようだ。 「すぐ戻ってくるって言ったんで、よかったら……」 しどろもどろでリヴは自分の向かいのソファを手で示す。この後にも用事があり、カリョナを訪ねたのも顔を見に来ただけだったからいないなら帰ろうと思ったが、結局ソファに腰を下ろし、襟元をくつろげて足を組んだ。 「君も、遠慮せずに座りなさい」 しばらくしても立ったままのリヴに声をかける。 「はい、すいません」 立ったときと同じように彼はぴょこりと腰掛けた。それにしても、しばらく見ないうちにずいぶんと背が伸びた。もう、自分よりも高いんじゃないだろうか。 「君も用事でカリョを待ってるのかい?」 「はい、すいません。そうです」 「わけもなくすぐに謝るのはやめたほうがいい」 「すいま……わかりました」 緊張しているのか、リヴはかしこまったままだ。背中に板でも貼り付けたように、硬く座っている。仕事柄自分がくつろぎ、相手が緊張しているとか、かしこまっているという状況には慣れてはいるものの、これでは本当にくつろくことなどできないではないか。 「そんなにかしこまらなくていいよ、もうずいぶんと古い知り合いじゃないか」 禁じられてしまったから、謝ることもできずリヴは赤くなったり青くなったり表情をめまぐるしく変えながら言葉に詰まっている。おそらくは、身分など知らなかった子供のころの無邪気な態度を恥じているのだろう。教育とは厄介なものだ。幼いころの彼の態度は嫌いではなかったのに。 しかし――からかって遊ぶと面白いかもしれない。カルビエは内心で笑いながら、声と表情を厳しくする。表情を作るぐらいはお手の物だ。 「そういえば、シルビアから聞いたのだけど君は、カリョナの事を異性として意識しているのだそうだね? ――師弟なのに」 「遊びではありません。本気です」 おや、と目を見張る。またしどろもどろになるかと思ったが、まっすぐに目を見てくる。その好感の持てる態度に、自然に口元が緩む。 「君は、本当にカリョの事が好きなんだな。――あれの、どこがいいんだ?」 これは、純粋な興味からだ。割れ子の姉は、人として付き合う分には面白いかもしれないが、異性としては首をかしげるところだ。姉弟だからわからないのだろうか。しかし、どこかに魅力があるというのであれば、求婚の一つや二つあってもおかしくないところだし、今まで何の相手もいないというのはおかしい。 「姉ちゃ……カリョ……お、皇女様は」 その弟の前でなんと呼べばよいのかわからないらしく、目の前の青年は再びうろたえる。やっぱり面白い。 腕を組んで、背もたれに体重を預けて観察する。 「とてもかわいいかただし、その――守ってあげたくなるんです」 「守って?」 あの、カリョナを? その心理変化を読んだのか、リヴは言葉を継ぐ。 「すごくしっかりした方だって言うのはわかっています。だけど、見ていると……いつも心のどこかで不安に思っているようなところがあるように思うんです。なんていうか、心のよりどころがないというか……おいらは、心の支えになりたい」 しっかりした、というところも首をかしげる所だ。カリョナは意地っぱりで頑固で。まあ、不安がりというところは合っているかもしれない。 「まあ確かにね」 あんなに幼かった少年は、いつの間に大人になったのだろう。 彼が、術使いとして子供たちに教える姿を見てみたいと思う。 「カリョは、少々強引にしないと動かないと思うよ」 「それは……そうなんですけど」 どうやら彼は相当手こずっているらしい。カリョナはシルビアよりも恋愛方面に鈍そうだ。きっと彼は苦労するに違いない。かわいそうに……。 「――で、キスぐらいはしたのかな?」 いやにやと笑いながら問うと、リヴは首でも絞められたようにたちまち真っ赤になった。これぐらいで照れるようならば、こちらも前途多難だ。周りがつついてやらなければ、この二人は一生結ばれないのではないかと本気で心配できそうだ。 「なに、僕の前だからって遠慮することはないよ。カリョの事は本気で心配してるんだ。ずーっと一人身でいるつもりなのかと思ってさ。だからこちらで母上と相談して見合いでもさせようかって、話が進んでたんだよ」 「そんな」 膝の上で手を握り締めてリヴは身を乗り出す。 半分は嘘である。心配していたのは本気だが、見合いの話など考えてもいないし、カリョにそんな話をしたところで、拒否されるに違いない。下手をすれば、家に帰ってこなくなりそうだ。 カリョナもどうやら、彼を憎からず思っているようだ。母上は、とうの昔に二人の気持ちを知っていたらしい。そんなに鈍いほうではないと思っていたが、僕も相当鈍いのかもしれない。 ――いや、そんなことはないだろう。大体、リヴとはこんなにゆっくりと会ったことはないに等しいし、カリョも僕も互いに仕事を抱えていて改めて会う機会もあまりなかった。知らなくても仕方がない。 「見合いはやめて欲しいだろう? ――何か、僕に言うことはないかい?」 とたんに厳しい顔つきになり、リヴは唇を引き結ぶ。 しばらく考え込んでから、ソファから滑り落ちるようにして床に膝をつく。右手を床に添え、左手を背に回して頭を垂れる。目上の者の前に出たときの正式な礼であり、また結婚を申し込む際に交際相手の父親に会うときの儀礼のようなものでもある。 「カリョナ皇女殿下をおいら……私の妻とすることをお許しいただけないでしょうか」 こちらからお願いしたいぐらいだが、黙って見下ろす。床に添えられた右手が緊張のためか、かすかにだが震えている。 「こちらからも、お願いするよ。――義兄上」 「あ、に、うえ?」 神妙な顔をして言うと、はじかれたようにリヴは顔を上げた。……やっぱり、反応がおもしろいと思う。お願いするなんていわなければ良かった。そうすれば、もう少しからかって遊ぶことができたのではないだろうか。 「だって、そうだろう? 戸籍上は僕が兄ということになっているけれど、実際はカリョナは僕の姉だよ」 ぽっかりと口をあけたまま、リヴは呆然としている。そろそろ耐えられなくなって、声をあげて笑ってしまう。よくここまでころころ表情を変えられる。 「ちょっと?」 笑い声を、不機嫌な声が遮った。 「黙って見ていれば。――あんたたち二人とも一体何の話をしているわけ?」 開いた扉にもたれかかって、腰に手を当てたカリョナが僕ら二人をにらみつける。見るとリヴは首をすくめていた。 「私はモノじゃないのよ。勝手にやりとりしないでくれる? それに、リヴ。私は、あなたにまだ返事をしてないけど?」 これは、相当怒っているときの表情だ。逃げるに限る。 「そうだった、せっかく会えたところ悪いけど、僕は宮に戻るよ。――用事があるんだ。あとはよろしく」 最後の一言はリヴに。白々しく聞こえただろうが、用事があるのは本当だ。逃がさないと言いたげに足を上げてカリョナが扉をふさいでいたが、巧みにすり抜けて廊下に出る。少ししてから、カリョナの怒鳴る声と、謝るリヴの声がかすかに聞こえた。 「こんにちはー」 生徒達がすれ違い際に気持ちよく挨拶していくのに軽く応えながら、出口に向かう。 あなたにまだ返事をしていないけど? とリヴを見たカリョナの顔はまんざらでもなさそうだった。心配する必要はなさそうである。カリョナは、からかうと怒って手をつけられなくなるから、これからはリヴをからかって遊ぶことにしよう。おもしろそうだ。 今日の事、シルビアにどう報告しようか。きっと、彼女も楽しんでくれるに違いない。 |