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酒の席   




 何杯も盃を重ね、真っ赤な顔をして店の一番奥でにぎやかに騒いでいた小さな集団は、どうやら今日の集まりをお開きにしたらしくやっと席を立った。
「暴力に訴えて希望がかなった例なんて、歴史上にほとんど存在しない。どんな国だって、どんなに正しいことを言っていたって支配者層はそういうやり方をもっとも嫌って弾圧する。少し考えれば失敗することなどわかりきっているじゃないか。それでもまだそういうやり方をしようだなんて、馬鹿のすることだ」
 彼らが狭い店内を抜けようと一人席の客の後ろを通ったとき、ため息交じりのつぶやきが聞こえた。直前までまさにその馬鹿にされた話題で盛り上がっていた彼らは独り言のようなそれを無視することはできなかった。
「お前、他人の話に聞き耳を立ててその上に文句をつけるとはどういうつもりだ」
 一人で飲んでいた青年、虎呂は面倒くさそうに振り返った。
「なんだ、自分たちの話だって気がついたのか。別に聞き耳を立てたつもりはないさ。聞かれて困る話なら、他人がいる場所でするなよ。後、まじめな話だったら酒の入っていないところで話すんだな。判断も鈍るし、声も大きくなる」
「何だと」
 いきり立った男は虎呂の胸倉をつかんで無理やりに立ち上がらせる。しかし立たせた虎呂の背の高さと体格の良さに驚き息を飲み込むと手を離してしまった。
「その上冷静さにも欠ける。こんな一回りも年の離れた子供に指摘されて手を出すなんて恥ずかしいと思わないのか」
 男が体格差にひるんで、手を出しかねていることまで計算しているのだろうか、青年は醒めた目で男を見下ろした。
「おい、そんなんにかまうなよ、行こうぜ」
「ふん、こんな店二度と来るか。あーあ、せっかくいい気分で飲んでいたのに最悪だな」
 勘定場に握りつぶしたお札を投げ置いて、彼らが去ると店内はしんと静まり返った。
「すいません、いらないことを言って店を騒がせてしまって」
 店には虎呂と同世代の青年が一人と、店の店員が残っているだけだ。虎呂の言葉にまだ年若い店員はゆっくりと首を振った。
「もしよかったら、お詫び代わりに一杯おごらせてもらえないか」
 虎呂が少し離れたところに座る青年に声をかけると、青年はいや、と手を振った。
「騒ぎにならなかったんだから、気にしないでよ。君、面白いね。言ってることとやってることがあべこべだ。でも応戦する気配は見えなかったんだけど、あいつらが手を出してこないって核心があったの?」
 青年が自分の皿とコップを持って、虎呂の一つ隣の席に移って来た。
「ダグラスだよ。よろしく」
「虎呂だ。別に確信はなかったが、いざとなれば店の外に連れ出すぐらいの事はできるつもりではいた。暴力で解決しようだなんてあまりに計画性がない馬鹿なことを大真面目に話しているもんだからつい」
「飲み屋で話すあの手の話なんてみんな与太話だよ。君はよっぽど真面目なんだな」
「真面目、か」
 虎呂は乱切りにされた酢漬けの野菜をフォークの先で転がして口に放り込んだ。ざくざくという歯ごたえの後に少し癖のある酸味とほのかな甘さが口に広がる。この保存食の存在は、この国に来てから知った。今飲んでいる酒も一緒だ。親について未知の国に足を踏み入れて、いつの間にか苦手だった食べ物がおいしいと感じるようになってしまった。
「そんないい話じゃない。ちょっと事情があって故郷に戻れなくなった。だから国をあんまり刺激してほしくなかっただけだ」
「故郷に帰れなくなって荒れてたのか、あはは、子供みたいだな」
 そうかもしれない、と再び酢漬けで遊び始めた虎呂を見てダグラスは悪かったと小声で言った。
 虎呂の親はクリエーナ人に混ざっても目立たない己の容貌を生かして、密輸の仕事をしていた。虎呂がその仕事を手伝うようになったころ、ほかの業者が下手を打って警備が厳しくなり、国に戻れなくなったのだ。故郷の仲間が手を打ってくれているが戻れるのがいつになるかわかりそうにないし、もしかすると切り捨てられるかもしれない。
「僕はお酒に酔っているんだ。だから、これは酒飲みの若造の与太話なんだけどね」
 ダグラスはそう前置きをして声量を落とした。
「もし、さっきのおじさんたちが言っていたことを本当に国に認めさせるとしたら、君はどういう手が一番いいと思う?」
「利益と損害・危険の的確な可能性をはっきりと提示して、それをすることがいかに得かを示すこと。あとはどこか似たような環境で同じ事を行ったときの実際の数値と結果を明確に示すことかな。俺は商人の息子なんでね、利益と損害の割合と他の者がとれだけ手を出していないかが物事を決める基準になるんだが、損害・危険が少なくて、安全で利益が大きかったら手を出したくなるのは商人でなくとも一緒だろう。だが国は前例のないことが嫌いだだから、実際の数値と結果を示す必要がある」
 あはは、とダグラスは笑い出す。それは虎呂を馬鹿にしたものではなく、回答に満足したものであるように見えた。
「やっぱり、僕は君を気に入ったよ。さっき君は、おじさんたちに酒が入っているときは判断が鈍るから大切な話は酒が入っていないときにしたほうがいいって言ったね。君ともっとたくさん話がしたい。酒が入っていないときに会えないか」
 しばらく本業もできそうにないし、暇を持て余していた。虎呂もダグラスが嫌いじゃなかったからその誘いに乗ることにした。
「だったら、今度いい飯屋があるんだ。そこに案内するよ」
 ダグラスが酒を二杯注文し、一杯を虎呂に渡す。グラスを軽くぶつけて、今度は好きな女性のタイプや最近の流行についての、いかにも若者らしい話題で盛り上がり、二人はすっかり意気投合したのだった。

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