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皇女様の口説き方   




 やわらかな西日が踊る夕暮れのこと、リヴはカリョナの執務室を訪ねた。
 カリョナは分厚い書物にしおりを挟み、ペンを置いてこった肩でもほぐすように伸びをした。
「やっぱりいるし。姉ちゃんせんせ、今日は皇宮じゃないのかよ」
「別にいいのよ、私がいかなくたって」
 簡易のお茶セットで二人分の花茶を入れてカリョナはリヴの向かいに腰掛けた。
「また儀式や式典サボったんだな? 姉ちゃんのサボリ癖は変わんねぇな。ところで最近遅くまで残って何してんの?」
「フォークロアの研究。術使いの学校なんて前例がないから、授業も手探り状態でしょ何か役に立つんじゃないかと思って。次の会議に間に合うようにしたいから、今日も遅くなるかな」
 見る? とカリョナはこれまでにまとめた分をリヴに差し出す。
「フォークロアって?」
「民間伝承とか民俗学のこと」
 ぱらぱらとレポートを斜め読みして、リヴは感嘆の声を上げた。
「やっぱさぁ、ちゃんと勉強してる人は違うよな。おいらじゃどうやって研究したらいいかとか、わかんねぇし」
「あら、簡単よ。気になったこと調べてまとめればいいの」
「だから、それがわかんないんだって」
 軽くため息をついてリヴは花茶をすすった。
「姉ちゃん、キリはつかない? 少しも余裕ない? 食事に行かないかって誘いに来たんだけど」
「どうしたの、何か悩み事?」
「あーうん、悩み事っちゃー悩み事なんだけどそうじゃなくて」
 そう言ってしきりに顎をさわるリヴを見るとカリョナは微笑ましい気分になる。それは彼が大人になってからするようになった癖で、見るとなんだかかわいらしく感じるのだ。
「うん、そうね。フォークロアを織り混ぜた授業の提案もいいけれど、食事をするのも大切だわ。で、他には誰が行くの?」
「二人きりだよっ」
 怒ったようなリヴの様子に首をかしげてカリョナは部屋の戸締まりをした。



 まるで先ほどの部屋で話していたときと同じように、いつもとなんら変わらない調子でカリョナは尋ねた。
「ところで話は何? 生徒には気に入られていると聞いたのだけど。ね、リヴ先生?」
 普段は学校にいても名前で自分を呼ぶカリョナに先生と呼ばれ、リヴはうろたえた。
「先生はやめて。姉ちゃんに呼ばれると恥ずかしすぎ。学校の話じゃないって。なぁ姉ちゃん、今日は何の日?」
 給仕役が二人の前に皿を置いて「子牛と香草の重ね焼きでございます」とぺこりと頭をさげる。
「陛下の生誕祭。……そして私の誕生日」
「おめでとうございます。陛下と同じ誕生日だなんてお幸せですね」
 給仕役がさりげなく口を挟む。
「あれ、お願いしていいかな?」
 リヴが給仕役に何やら話しかけると給仕役は「お待ちください」と笑顔を残して立ち去った。
「それもあるんだけど……今日はおいらと姉ちゃんが出会った日だよ。ちょうど十年前だ」
 先ほどの給仕が大きな花束を持って戻ってきた。そしてその後ろに果実酒の洒落た形状のビンを持った給仕役がもう一人。
「おいら、それは頼んでないんだけど」
「こちらは当店からのプレゼントです」
「あ、ありがとう」
 上品な二つのグラスカリョナの赤銅色の髪によく似た色の液体が注がれた。
 どうぞごゆっくり、と給仕役が行ってしまうとリヴは姿勢を正してカリョナに花束を差し出した。
「お誕生日おめでとう」
 花束を受けとってカリョナは微笑んだ。
「ありがとう」
「姉ちゃんは今年も結婚しねぇつもりか?」
 悪戯っぽい口調にカリョナの微笑はたちまち苦笑に変化する。
「適齢期もだいぶ過ぎた、こんなめんどくさい相手と誰が結婚するものですか」
「そうだよなー、姉ちゃんと結婚するのって大変そうだもんなぁ。だから姉ちゃん……」
 じゃないや、とリヴは小さくつぶやいて言い直す。
「カリョナ、……その、おいらで我慢しとかない?」
 予想外のリヴのセリフにカリョナは一瞬固まって、それからくすくすと笑い出した。
「カリョナと呼ぶのは賛成ね。カリョナ先生って呼ばれるのが憧れだったんだけど、リヴが姉ちゃんせんせ、なんて呼ぶからそっちが定着しちゃったじゃない」
 店にに来たときと少しも変わらないカリョナの口調にリヴは首をかしげた。
「姉ちゃんわかってる? おいらはプロポーズしたつもりなんだけど」
 グラスを口に運んでカリョナは赤銅の液体を口に含む。しばらくそのまま味わうように、舌の上で遊ばせてそれから喉の奥に流し込んだ。
「わかってる。そうね、さっきの一回だけじゃなく普段から姉ちゃんってのをやめられたら考えてあげてもいいわ」
「ほんとか? ね、あっ……カリョナ」


 カリョナとリヴが友人以上に仲良くなるには、どうやらまだまだ時間が必要なようである。

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