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隼の姫   




「納得は到底出来ないが、背に腹は変えられぬ、といったところか。上手くいって良かったじゃないか」
 サエラは自分を呼び出した男の肩を軽く叩く。皇帝の執務室で、部屋の主にこれほど気安い振る舞いをするのは彼女ぐらいであった。それは他者が見ていれば咎められるような行為だったが、サエラ自身はそのような事をまったく気にはしないし、男も何も言わなかった。
「で? 何の用だ。用がなければ、あんたが私を呼び出すなんてありえないだろう」
「君が思っているほど、私は君を嫌ってなどいないのだがな」
 男は俯いて小さく笑う。押し殺したクツクツとした笑い声は、人気のない部屋にひっそりと響いた。
「嘘ばっかり。幼い頃からあんたは私をいつも目の仇にしてた」
「私も大人になったという事かな。子供の折は女性の方が成長が早い。同じ年のくせに私よりも出来が良くて、その上奔放に暮らしていた少女が羨ましかったというだけだ。今は信頼している」
 ふうん、と気のない返事をしてサエラはソファに座った。彼女が足を組んで男を見上げるまで待ち、男は話を続けた。これではどちらの身分が上なのかわからなくなりそうだ。
「君の事だから、仕事の内容はもう大方想像はできているのだろう?」
「まあね」
 クリエーナは危機に晒されていた。かつてないほどのひどい日照りで土地は乾ききり、野菜も肉も不足し、国民を全て養うだけの蓄えがない。かつて、周囲の国々の情勢が不安定であった時期に国交を閉ざす事で国を守ったクリエーナには助けを求める相手もいなかった。
「まったく、この国の中枢には馬鹿しかいないのだからな」
「その馬鹿の親分は誰だ」
 その親分である男はそれに対する返答はせずに話をそらす。
「じじい共はつまらないプライドに支配されて、国交を回復させることに猛反対をしている。民なくして国は成り立たんというのに、まったく馬鹿馬鹿しい」
「サザローズの姫を娶ってその持参金として食料をいただくのが奴らにできる最大限の譲歩なんだろう」
 男は背を向けると街に向いた窓の際に立ち、外に視線を投げる。小さなため息が聞こえたが、サエラは聞こえない振りをした。
「あんな大国の姫をどうにかしようなんて、そこまで行動力があるやつはいないだろうが、仕事は請けてやる」
 用は済んだとばかりに、立ち上がって部屋を辞そうとしたサエラの背中を男の声が追いかけた。
「すまんな、恩に着る」
 部屋の出口までたどり着いてから、サエラはようやく振り返った。
「まずは一歩前進おめでとう。こういうのは急ぎすぎるのは良くない。次の世代ぐらいに引き継ぐのがちょうど良いぐらいじゃないか?」
「君らしくない意見だな。君なら、そんなものにかまわず強引に変えてしまえば良いというと思っていたよ」
「失礼な。“調和”は術使いが何より大切にしているものだ。急ぎすぎるとどこかで破綻するぞ」
 はは、と声を出して男が笑う。
「君からそんな言葉を聞くとは思わなかった。だったら、人間関係ももっと円滑に運ぶようにしたらどうだ」
「よけいなお世話だ」
 ひらひらと手を振るとサエラは部屋に背を向けた。


 船から降りたその姫の肩に止まっていたのは、隼の姿をした守護精だった。ひだまりのようなふわりとした笑顔の少女に似合わぬ、凛とした隼の姿にサエラは驚いた。
「ふぅん、面白くなりそうだ」
 サエラは久しぶりにわくわくするのを感じた。守護精は憑いた相手の性質を表すような姿をとるものだ。どうやら彼女は見た目どおりのお人形さんではないらしい。
 姫の護衛役として彼女が公の場に出る時はつかず離れずそばに控えてはいたが、特に親しく会話を交わす機会は巡ってこなかった。

「それにしても、あの姫は面白いな」
 行動を共にするたびに、サエラは彼女に興味を持たざるを得なくなっていった。
「君が他人に興味を持つなんて珍しい」
 報告のために執務室に顔を出したサエラがそういうと、皇帝はおかしそうに笑った。
「特に交流もなく、何かの重要な位置にあるわけでもなく、付き合って旨みのないこの国に嫁がされてきた姫だから、かわいさ以外に何か取り柄があるなどと思っていなかった」
「ひどい言い草だ」
「どの点が? 前半は事実だし、後半はただの想像だ。何か反論はあるか?」
「いいや」
 そこで二人は一度口を閉じた。侍女が白湯を運んできたのだ。サエラは机に置かれた壷からたっぷりとハチミツを掬い取ると、白湯に溶かしてかき混ぜた。国の特産のハチミツとそれを使用した保存食だけは貯蓄があり、このご時勢でもいくら食べても、と言い切るには少々心が痛むが、多少の贅沢に罪悪感を感じる必要がない。飢饉の規模に対しての死者の数が驚くほどに少ないのは、このためであった。
「相変わらずだな。よく太らないものだ」
 ハチミツはなかなか溶けず、スプーンがカップに当たる涼やかな音が続いている。猫舌のサエラのために、ぬるめのお湯が用意されたためだ。
「で、わが妻の何が気に入ったというのかい」
「彼女は非常に頭が良い。情報管理能力に優れている。更に社交に関しては天才的な勘があるとでもいうか……。あちら立てればこちら立たずのめんどくさい奥様方からほとんど悪口を聞かない」
「それはすごいな」
 ほう、と皇帝は感心したように息をつく。それにかぶせるように「もう一つ」とサエラは口を開く。
「おそらく、彼女の情報管理能力は故郷の国で訓練されたもの。サザローズという国について我々は知らなさすぎた。あの国は、情報を可能な限り収集してそれを有効に活用して政治を行うようだ。王族が各地に子供達をやっているのも情報統括の一環ということだな。長い間戦の一つもせずにあの広大な国土をどうやって維持しているのかと思っていたが、恐ろしいものだ。知っているか、あんたには見えないだろうが、彼女の守護精は隼の姿をしている。隼は少しの休みもなしに宮内や国中を飛び回っているぞ」
「ということは、浮気などしようものならすぐにばれてしまうという事だな。君とこうして会っている事は誤解されないだろうか」
 笑いを含んだ軽口に、サエラもにやりとやり返す。
「あんたとそういう関係になるのはこちらから願い下げだ。大体、私を誰だと思っている? たかだか貴人の護衛用の守護精に出し抜かれるなどありえないさ。しかし、気に入った。見た目と夜の技術だけが取り柄の美しい人形なんかじゃなく、情報を取捨選択して有効に使うその頭脳は実に魅力的だ」
「君にとって、よい友人になりそうかい?」
 幼い頃より、頭の中に芳しい香水や、美しいレースや、ドレスの新しいデザインの事、そして他人の悪口しか詰まっていない城の女達に馴染まないサエラの良い友人になれば良いと皇帝は思った。また、祖国より連れてきた数人の者以外に深く知る人物がいない環境の姫にとっても良い関係を結んで欲しいと思う。
「さて、それはどうだろうね。私は城を護る者。お姫様が仕事をがんばりすぎず、サザローズがわが国に害を与えなければよい友人になれるんじゃないかな」
 そう言って頷いたサエラは脳裏で、姫と初めて交わした親しいやり取りを思い出す。

「ねえ、サエちゃんって呼んでもいいかしら? わたくしはあなたに友人になってほしいと思っているのだけど」
 急な予定の変更でぽっかりと空いた暇な時間、寝椅子で休んでいたはずの姫は、突然くるりと振り向いてサエラに言った。
「お好きにどうぞ」
 そっけなく答えたサエラの目をじっと覗き込みむと、姫はうれしそうに笑った。公の場では一度も見せたことのない、人懐っこい笑顔だった。その後、彼女は干渉されることを嫌うサエラの性質を見抜き、絆を深めることになる。

 まんざらでもなさそうなサエラから視線を逸らし、皇帝は声を殺してクツクツと笑う。
「しかし、君の守護精は小鳥の姿をしているのではなかったか? 隼は小鳥の天敵であろうに」
「面白いじゃないか」
 応えてサエラも面白そうに笑う。
「私を誰だと思っている? 捕食関係にあっても、友情を結んでむせるさ。長く宮に出入りしているけれど、あんなに面白いお姫様を他に見たことがない。とても興味をそそられるよ」

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