魔物と少女

戻る





 初めてお城に行った日、わたしはとんでもない話をうっかり聞いてしまった。
「あの女、いい体してるよな」
「狙ってんだろ?」
「お前が行けばすぐ落ちるって。喰っちまえは?」
 領主とその友人達が魔物じゃないかって本気で信じて、わたしは舞踏会がおわるまで大声で泣き続けたのだった。


「ばか領主、またさぼりに来たの?」
 単騎、駆けてきた蹄の音に、ジュリは店から顔を出した。領主がこの店に遊びにくる光景はこの街にとって奇異なものではなく、もう普通のできごとになっている。
 普段ならば鼻で笑いながら「色気なし」だの「ガキ」だのとからかってくる相手は何も言わずに、それどころかジュリの顔すら見ずに店の裏手にまわった。目深に被った帽子で表情はわからない。首をかしげながら追いかけると裏庭に入ってすぐのところで乗り手のなくなった馬が所在なさげに足踏みをしている。ジュリはその轡を取って手近の木にくくりつけながら裏庭を見渡した。
 探す相手はすぐに見付かった。帽子で顔を隠して、庭で一番大きな木の根元に転がっている。木もれ日がちらちらとその体の上で踊って、さわさわと葉が囁いた。
「どうしちゃったの」
 こんなこと、一度だってなかった。初めて会った日も、市街の視察と称してさぼりに来るときも領主は腹が立つほど余裕しゃくしゃくで。ジュリはそろそろと近寄って男の脇に腰を下ろした。なぜだか声がかけにくい。けれども黙っていることができなくて、もう一度同じ問いを繰り返す。
「ねえ、どうしちゃったの」
 返事はなかなか返ってこなかった。シュリは膝を抱えて、領主の反応をじっと待つ。一体どうしてしまったのだろう。普段の彼とはまるで別の人のようだった。
「心配したか?」
 上体を起こした拍子に帽子が地面に転がり落ちた。それを拾い上げ、自分が被ることでからかうような視線を遮って、ジュリは唇を引き結んだ。いつでも頭のなかで再生できるくらいに聞き慣れた声だ。苦い色がまじっているのに気が付かないわけがなかった。
「仕事でなにかあったの?」
 聞くと領主は苦笑した。尋ねたところで、この男はどうせ笑ってはぐらかしてしまうのだ。
「子供が心配することじゃない」
「……わたし、子供じゃないわ」
 帽子の下からジュリは男をそっと見上げた。喉の奥に引っかけるようにクク、と笑って領主はジュリの頭から帽子を取り返し、自分の頭に戻す。
「子供じゃないのか、成程」
 張り合うように見つめたまま、柔らかな風と木ずれの音が二人を撫でて去っていく。
 男の顔の上でちらちらと木もれ日が揺れて集中力を削ぐ。ゆっくりとまばたきをした瞬間、耳に息を吹きかけられてジュリは奇妙な悲鳴を上げた。弾かれたように横を向くと男の顔が驚くほど側にあった。
「大人なんだったら喰ってやろうか?」
 次の瞬間、ジュリはありったけの力を込めて男を突き飛ばした。
「この腐れ外道! 人がちょっと心配してやればそんなことを」
 罵られたにも関わらず、体勢を崩したままで男は笑いだした。
「なにがおかしいのよ」
 目をつり上げたジュリを見て男は笑いすぎて乱れた息を整える。
「一丁前に貞操の危機を感じたのか」
「な……」
 何の事、という言葉は赤くなった顔を隠す華奢な両手の中に消えた。
「昔は意味もわからなかったくせに」
「何年前のこと言ってんのよ」
「二年」
 ことあるごとにからかいの種にされるのは、いつまで経ってもジュリが過剰に反応するからだ。
「たしかにとんでもなくお子ちゃまだったわよ! もう、いい加減に忘れてくれないかなぁ。そんな大昔の話なんて時効よ、時効」
 大きな手が伸びてきてジュリの頭を撫で、肩を抱く。
「で、ジュリ姫は今もやっぱり喰われたくないのかな」
 引き寄せられたジュリの頬が燃えるような朱に染まる。
「ばかっ、信じらんないっ。ふつう聞く? そういうこと」
「エンホチキス広しと言えども領主を馬鹿呼ばわりできる女はおまえだけだぞ」
 耳にかかる息がこそばゆくてジュリは身をよじる。
「ばかなだけじゃないでしょ。サドでロリコンで女たらしで変態のご領主様」
「ひどい言われようだな。お前がいつまでも泣き止まないからこんなことになったんだぞ」
「それだけだったら、あんなに苦労してまでこんな小さな商家の娘なんて婚約者にしないわよ」
 ジュリが笑っていうとそうだよなぁ、と男がぼやいた。
「何をトチ狂ったんだか。あんな男に免疫なさそうな小娘なんて趣味じゃないのに」
「ねえ、今でもわたしは小娘なの?」
「いいや。いい女になったな」
 ひとしきり笑って領主は立ち上がった。
「ありがとう、元気出たよ。そろそろ城に戻る。……逃げてきたからな、そろそろ探し回ってるはずだ」
 まじめな領主の顔にすっかり戻った男はまたな、とジュリの額に口づけると、庭の隅で待っていた馬に飛び乗ってもと来た道を走り去った。



Copyright(c) 2007 sakaki all rights reserved.



※この作品は「エロり50のお題」と「三題噺」参加作品の改訂版です。

戻る