特殊技能


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「こら、立ち読みは止めんか。木原のぞみ」
 本屋で雑誌を立ち読みをしていると斜め上から声が降ってきた。
「すいま……嘘ぉ、小山先生!?」
 反射的に謝って、振り向くと高三の時の担任がにやにや顔で立っていた。
「おう、いかにも俺様だ」
 地元ならまだしも、ここは結構離れている。不思議に思いながら私は手にしていた雑誌を棚に戻した。
「なんでこんなところにいるんですか」
「公立の教師には転勤っつーもんがあるんだよ。それにしても懐かしいな。木原は確か佐々木工務だったか」
 なんでそんな細かいところまで覚えてるんだか。それが顔に出たのか先生はまたにやりと笑った。
「よくしてくれるか? 遅刻癖は直ったか?」
「そんなのとっくに直しましたよ。職場もいい場所です」
「懐かしいなぁ。木原が社会人してるなんて変な感じだ。――どうだ、暇だったら」
「もちろん奢りですよね?」
 先生が親指で差した喫茶店が前々から入ってみたかったのと、丁度暇だったのとで、私はありがたくごちそうになることにする。
「先生、ケーキも頼んでいいですか?」
「……おう」
 なんだか渋い顔をされたので580円のスペシャルショコラは止めておいて300円のブルーベリーのレアチーズケーキで我慢しておく。
 ほどなくして先生のブレンドと、私のアイスティーとケーキがやってきた。
「木原が卒業して…三…いや、四年か早いもんだな」
「よくそれだけ生徒持ってて覚えてますよね」
「そりゃ俺様が天才……」
 何かを言いかけたけど、私の白い目に先生は口をつぐんだ。
「や、でも真面目な話こりゃあ教師の特殊技能みたいなもんだろ。百人送っても千人送ってもなにかしら覚えてるさ。名前忘れちまっても顔は覚えてるとか、顔を忘れても名前覚えてるとか」
 あんまりにも当たり前に主張するのでなんだかすとんと納得できてしまった。
「お前らのことはよく覚えてるぞ。根木栞と佐伯芽衣子。あいつらはどうしてる?」
「栞も芽衣子も大学生ですよ。就職したのは私だけです」
「それも覚えてる。そうじゃなくて、元気にしてるのかって話だ」
「元気にしてますよ」
 少し前に来た栞からののろけメールを思い出して、私は思わず思い出し笑いを浮かべた。先生のほうも何かを思い出すように、目玉だけで頭を見上げている。
「おまえらいつもつるんでたな。木原は家庭科部で、いつもなんか作ってただろ? まだそういうの好きなのか?」
 とりとめもない懐かしい話をだらだらと続けて、そのうちに、いつの間にか外は真っ暗になっていた。


「先生、ごちそうさまでした」
 レジでお金を払うのを外で待っていて、出てきた先生ににっこりと笑う。奢ってもらったときは愛想良くしておくに限る。
「――おい、木原」
「はい?」
「これ、興味あるか?」
 財布の中でぐちゃぐちゃにされていたらしい紙切れが差し出された。端がぼろぼろに擦り切れた紙はどうやら映画の前売り券のようだ。
 私はそのちいさな紙を覗き込む。CMで予告編がばんばんと流れているその映画は、最近では珍しいぐらいの甘すぎるベタなラブストーリーで、がさつな先生の財布からそれが出てくるのが似合わなくておかしかった。
「えーと、なんだ『ひまわりの丘で』? なんかCMしてるだろ。ひまわり畑をいかにもなカップルがうふふ、あははって走っていくやつだ。新聞屋が映画の券くれたんだが行く相手がいなくてな。今週末までなんだ」
 先生の真似が面白くて、笑いをこらえながら返事をする。
「……私も行く相手いませんよ」
 就職活動に忙しい友人たちはつかまらないだろうし。一緒に行ってくれそうな人はほかにいない。
「じゃあ一緒に行くか? 無駄にするのもアレだしな」
 なんとも答えられずに黙っていると先生は一人で勝手に頷いて「じゃあ、日曜日十時にここで」と宣言した。
「家近いのか?」
 尋ねられるままに頷くとじゃあな、と先生は手をふった。
「遅刻すんなよ、木原。気をつけて帰れ」
 先生、そんな勝手に決めて。私が日曜日に用事があったらどうするつもりなんですか。

 ……まあ、そんなものはないんだけど。

 カバンからスケジュール帳を取り出すと、私は今週末の日曜日の欄に「十時 映画」と書き込んだ。


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