Daily living −はじまりの物語−


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『のぞみ〜、久しぶり。
お願いがあるんだけど。
あのさ、チョコの作り方教えてくれない?』

 久しぶりの三人そろった同窓会は栞からのぞみに宛てたこんなメールがきっかけだった。




「あーあ、めんどくさいなぁ」
 湯煎をかけている最中のボウルを投げるように放して、栞は前髪をかき上げた。

「ちょっとー、お湯入っちゃったら最悪なんだからね」
 からからとまわるボウルを危ういところでキャッチして、のぞみは栞からヘラも取り上げる。
 のぞみらしいワンルームには珍しい大きめの台所は、それでも二人が並べば一杯だ。突発的に開催されたお菓子教室の先生と生徒を横目に、私は部屋の隅のベッドに背中を預けてファッション雑誌のページを繰った。
 甘い香りと共に、のぞみの柔らかい声と苛々とした栞の声が洩れ聞こえる。
「それにしても懐かしいね。ねえ、芽衣子覚えてる?」
 急に話を振られて雑誌に没頭していた私は顔を上げた。この状況と、昔を思い返す栞の声を聞けば何が言いたいのかすぐにわかる。
「忘れるわけないわよ。だって、ねえ?」
 懐かしいわね、と繰り返したのぞみに応え、「どこかの誰かさんには散々怒鳴られたし」栞を見ながらぼそりと言うと、栞は耳をふさぎ意味のわからない奇声をあげてそれを打ち消そうとした。



「なんで佐伯さんとやらなきゃいけないわけ?」
 床に落ちて飛び散ってしまった小麦粉に、私の手を払った栞の方が驚いたようだった。それ以上にあまり話したこともない栞に突然怒鳴りつけられた私も呆然としていた。机の下にもたれかけた口を開いたままの鞄にもたっぷりと小麦粉の雪が積もっている。お弁当箱も体操服も、そして教科書もきっと仲良く真っ白になっていることだろう。
「ね、ねえ、仲良くやろうよ」
 一連の騒動を見ていたのぞみがおずおずと声を上げた。
 高校一年の一学期。根木栞はなんとなくクラスで浮いていて、木原のぞみは楽しそうに話すのに特に誰と仲がいいわけでもないおっとりとした子で、そして私はなんとなくクラスに混ざれずにいた。そんな中で文化祭が開催されることになったのだ。
 クラスの出し物はいつの間にかフリーマーケットに決まっていて、だけど既製品の持ち込みは禁止されていたから、小さなグループをいくつか製作することになった。
 あまりものの私たちがまとめてグループにされたことは、そんなにおかしな流れじゃなかった。
 まあ、ぎくしゃくしながらも前日放課後のマドレーヌ作りのノルマは達成して、
当日にはなんと完売までしたのだ。
 文化祭が無事に終わってほっとして、そうしたら、慌ただしいことにそのすぐ後には秋の遠足が待っていて、そのグループを決めなくてはならなくなった時になんとなく顔を見合わせたのが私たちのはじまりだ。



「だけどさ栞、お菓子とかつくるのあの頃から嫌いでしょう? なんでこんなこと言い出したの?」
「へ?」
 純粋に疑問符たっぷりののぞみの問いに、栞の動きがとたんに挙動不審になる。柄にもなくうろたえた栞の助けを求める視線をしっかりと受け止めて私はやれやれとため息をついた。
「ちょいとそこのお嬢さん。――ちがう、栞じゃなくってのぞみ」
「なぁに、芽衣子」
 手際良く動かしていた手を休めてのぞみが首をかしげる。誰かさんとは違い、ボウルはきちんと固定したままだ。
「二月にそれを聞くのはちょいとヤボじゃあございませんか」
 言葉の意味が、のぞみの頭の芯まで染み込むのを十分に待って、私はにやりと笑ってみせた。
「また?」
 のぞみが当たり前のように言った「また?」が全くもって否定できないのが悲しい。栞は女心が秋の空のようにうつろいやすいというのを体現したように、惚れっぽく飽きやすい。今から思えばあの高一の夏に栞の機嫌がやたらと悪かったのは、出席番号が近いというだけで静木くんと私がよく話をしていたことが原因だろう。要するにただのやきもちだ。あのころに比べれば、栞はずいぶんと落ち着いたものだ。
「のぞみ、のぞみ、よく考えて。ラッピングしかできないこの栞がよ? 買った物を包み直して手作りだって言うんじゃなく自分で作ろうとしてるのよ」
 そういえばそうねぇ、とぽかんと口を開けて、のぞみはしみじみと頷いた。
「栞、ラッピングだけは上手だったものね」
 のぞみは本心から褒めているのだろうけど、イヤミにしか聞こえない一言に栞の眉がはね上がる。
「だけ、とか言わなくていいから」
 エプロンを投げ捨てて栞はベッドに飛び乗った。のぞみがその後についてくるのを見ると一段落ついたらしい。
「栞」
 私は夏前に一緒にお茶をしたときにこの話のいきさつを聞いている。のぞみにばらしてもいいかと聞いたら栞は自分で話すと言ったのだ。静かに促すと栞はこくりと頷いた。
「ようするに、これは革命なのよ」
 のぞみに語る声を聞きながら、私は再びファッション雑誌に目を落とした。
「裕一君はね幼馴染みのお兄ちゃんで……」
 栞によれば、その裕一さんというのが、ずっと栞に好意を寄せてくれていたらしい。けれども、彼は徹底して「幼馴染みのお兄ちゃん」の仮面を外そうとはしなかった。最近になって自分がどうやらその裕一さんを幼馴染みの範疇を越えて好きらしいと気が付いた栞は彼女なりに随分悩んだようだった。彼女が分厚い「仮面」を外すべく苦心して考えたのがこの「バレンタイン大作戦」だ。
 はらり、と雑誌をめくる。ページをめくる音が随分大きく響いた。
 次のページは占いだった。バレンタイン仕様で恋愛面が随分大きく取ってある。
「そう、うまくいくといいねー」
 しみじみとしたのぞみの声に私は顔を上げた。
「話、終わったの?」
 二人が同時に頷くのを見て私は雑誌を三人の間に置いた。
「栞、乙女座よね? ほら見て。『あなたは随分相手に甘えていたのではありませんか? そんな乙女座のあなたは、バレンタインにいつもとは違う工夫が必要です。もしかすると関係が変わるかも?』だって」
 雑誌の持ち主であるのぞみがひょいと肩をすくめた。
「え、これ、当たるの!?」
 喜色を見せた栞に私ものぞみを真似してひょいと肩をすくめて見せた。こんな占いは、大抵誰にでも当たるように書かれているものだ。




 ピピ…ピピ…

 まるで時間を切り抜くようにオーブンが鳴いた。八割方のぞみがつくったお菓子がそうそう失敗することもないと思うのだけど、とたんに栞は顔をこわばらせた。素早く立ち上がったのぞみがオーブンの蓋を開いて中を覗き込む。
「うまく膨らんだよ」
 差し出されたVサインに栞はほっと息をついた。


 製作行程のうち、最初の数行程を少し手伝ったことが「いつもとは違う」ことになるかどうかは知らないが、今はうまく行くかどうか祈るばかりだ。私はのぞみとこっそり顔を見合わせてほとんど同時に肩をすくませた。



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