Daily living −迷える羊− 


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「あーあ、ひまだぁ」
 栞がぽそりとつぶやいた。



 私も同じ気持ちだったからそうだね、と答えた。
 窓から隙間風がひょぅ…と寒そうな音を立てながら流れ込む。それはそのまま私たちの心に吹き込む風と同じだった。
 二人とも推薦入学で大学に合格していたからみんなみたいにカレンダーに追い立てられながらがむしゃらに勉強する必要がない。
 こんな時期にこんな事を言っていては世界中の同級生サマに申し訳ないと思う。だけど私と栞はいっそ、他のみんなと同じ様に受験勉強に明け暮れていたほうがよかったとさえ思っていた。

 たぶん他人には全然大した事じゃないと思う。仲良しののぞみに彼氏ができただけだった。
 私たちは前々から、お互いに彼氏ができたら喜び合おうねと言っていて、のぞみから報告を聞いたときは実際本心からそうしたのだった。けれどその後私たちを襲ったのは言いようのないさびしさだった。身勝手なのは十分承知の上だ。
 毎日顔を会わせられるのは卒業まで。
 それが二人を燃え上がらせたようで、のぞみはほとんど私たちと一緒にいることはなくなった。
 ただそれだけでくだらないことを言って笑いあって過ごした昼休みや、部活が終わるのを待ってまったりと過ごしていた放課後が信じられないくらい長くなった。
 私と栞は馬鹿みたいにのぞみのことばかり話していた。ドラマの話も好きな芸能人の話も忘れてしまったように話題に上らなかった。
「ねえ、栞」
 寒そうに首をすくめながらグラウンドを走る陸上部を眺めながら私は栞を呼んだ。
 栞はなぁに? と小首をかしげる。
 だけどそのタイミングはなんだか違う。のぞみがいないだけで、私と栞の距離も少しおかしくなってしまったように思えた。
「ね、授業サボって遠くに遊びにいかない?」
 私がそんなことを言い出したのは、私たち二人の関係を少しでも元に戻したかったからだ。栞はたぶん、それをわかってくれたのだと思う。
「いいね。でもどこに?」
「どっか。そう、水平線とか地平線とか見えそうなとことか」
 話はトントン拍子で進んだ。

 明日の授業さぼって、海へ行こう。


「さっむーい」
 私と栞は同時に叫んだ。
 同時に叫んだことがおかしくて顔を見合わせる。こういう所は前と少しも変わっていない。
 セーラー服の襟がばたばたと風に翻る。学校に行く振りをして家を出てきたから、二人とも制服のままだった。
 遠い沖では荒波が暴れていて、サーファーがカラフルなビーズのように見えていた。
「のぞみも誘った方がよかった?」
 聞いてしまってから落ち込んだ。いいかげんにのぞみから離れるべきなのに。
 舞い散って暴れる髪を片手で押さえて栞は振り返る。
「……いらない。今日は彼氏がいない女の会だもん。のぞみはいらないの」
 あまりに寒すぎて、寒風の中砂浜で友と肩を並べて水平線を望む、なんて青春っぽいことはやってられなかった。いくら冬場はいい波が来るからと言ってこの寒い海に入っていく人たちを本気でバカじゃないかと思うくらいだ。
 数分後には私たちは海が良く見える「喫茶 マジョリカ」の窓際の席に収まっていた。
 その、いかにも高そうな陶器がたくさん飾ってある高級そうな喫茶店は見た目どおり目玉が飛び出るほど高くて、本当ならこんなお店なんて私たちには敷居が高すぎたのだけど、何かに押さえつけられるように私と栞はそれぞれ紅茶一杯とケーキ一切れでずうずうしくも半日居座った。
「女の友情ってこんなもんなのかなぁ」
 かじかんだ手でカップを包むように持つと手が痺れるほど暖かくてちょっぴり涙がでた。
「な、泣くことないじゃない」
 栞は私の涙にうろたえて腰を上げた。
 カップがあったかかったから。でもわざわざ言うことないから栞には心の中で説明しておく。
「私たち、置いてきぼりをくらったわね」
「ほーんと。のぞみったらたったの半月であんなにきれいになっちやって」
 今では栞も以前の私の彼氏騒動がデマだとわかったようだった。
 だってわかるはずだ。現在進行形の恋愛をしている人を間近で見れば。
「そんなの、マンガとかの話だと思ってた。あーぁ、高校生のうちに彼氏、欲しかったな。」
 私たちは栞の誕生日から一歩だって前に進めていない。
 このまま栞と話を続ければあの日と同じ会話を繰り返すだけだろう。
「結局、私たちってまたどこにも進めないままなんだわ」
 のぞみは一歩先にいるというのに。
「見ててよ」
 栞は顔を上げてふふんと笑って見せた。
「見ててよ。私、大学で素敵な彼氏見つけて見せるんだから。あ、それとも今ナンパしちゃおうか。ここなら波バカが腐るほどいるんだから」
 反対に私はこっそりとため息をついた。
「はぁい、そこのかっこいいおにいさん、かわいいわたしたちとおちゃしないって?」
 私の芸術的なまでの棒読みに栞はすっかりいつもの調子でくすくすと笑っている。
 すっかり立ち直ってしまったようだった。
 ……みんな私を置いて行ってしまうんじゃないだろうか。栞はわたしほどのぞみを気にしてないようにも見える。そもそも、のぞみのことなんてそれほど気にしてなくて、私に付き合って気にしてくれる振りをしてるんじゃないか、なんて思った。
 つまらないことを気にしすぎていると自分でも思う。だけどどうしても私だけ置いて行かれそうで怖いのだ。
 いつだって私は遅かった。小学校の掛け算も逆上がりも、中学のアルトリコーダーだってできるようになったのは最後だった。
「芽衣子?」
「……私、どうしても思えない」
「何が」
「自分のペースで進めばいいってよく言うじゃない。でも、わたしはどうしてもそう思えないの」
 んーと栞はのんびりとした声を上げた。
「わたしは芽衣子の見かけによらずのんびりしてるとこ、好きなんだけど。…そんなこと言ったところで何の救いにもならないのよねぇ」
 それはまったくその通りで、私のあせりは少しも減らなかった。
「でもさ、よかったねぇ。大学は早く決まって」
 何気ない栞の一言で私は我に返った。
 焦る気持ちは少しも変わらないけど。そうか、何もかもが最後なわけじゃなかったのか。
「他は焦っても受験まであせらなくてすんでよかったじゃん」
 最後の一切れのケーキを口に投げ込んで栞は笑った。
「あのさ、ありがとね。ちょっと元気になれた。わたし、のぞみに彼氏ができたのでちょっと落ち込んでたんだわ。自己中だけど、一番彼氏欲しかったのわたしなのに! って」
 わざとふくれつらをしてみせる栞はいつもより3割り増しくらいでかわいかった。
「大学でいいひと見つけなよ。栞はかわいいからさ、きっとすぐに見つかるよ」
「そういうドラマみたいな陳腐なセリフは言わないんじゃなかった?」
 前にそういう話をした事がある。覚えてたんだ? 目で尋ねると当たり前じゃない、と栞は笑った。
 やっぱり栞の笑い声は耳に気持ちがいい。
「だって、本気で言ったんだもん。本気ならいいのよー」
 上手くいえないけどこの時には、私は少し落ち着いていた。
 相変わらず体の中には自分を焦らせる何かを抱えながら、それでも心の中は少し静かになった。たったこれだけのことに、なんて現金な。
「わたしたち、ふたりでのぞみに振られたみたいに落ち込んで、馬鹿みたいだと思わない?」
「そうかも」
「女の友情って複雑ね。……芽衣子、覚悟しときなさいよ? わたしは彼氏できたら芽衣子のこと捨てるからね」
 そんな事を栞は言ったけど、栞はきっとなんだかんだ言って私を気にしてくれるような気がずる。
 栞、こっちこそありがとうね。今日は付き合ってくれて。
 なんだか恥ずかしくなって口に出せなかったけど、心の中で栞にお礼を言った。
「そろそろ帰ろう?」
 もう一度海を見て、それから私は栞に言った。
 栞は了解のサインに伝票に手を伸ばして席を立った。

 新しい世界の扉はすぐそばまで来ている。私と栞とのぞみはここからそれぞれ別の道を行くのだけど、私は歩いていけるだろうか。
 もしも躓いた時はまた、どこか遠くに遊びに行こうと思った。
 悩みが解決するわけじゃないけれど、立ち止まってしまったところからまた歩いていけるような気がした。




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