Daily living


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「あーあ、恋したいな」
 ぽつりと栞がつぶやいた。



 初夏なんて名前だけのお日様が射すような暑い日、窓からぐったりと垂れ下がったまま栞はもう一度言った。今度はたったひとり、教室に残っている私に聞こえるように。
「だから?」
 私は机の上に広げた課題から顔も上げずに返した。
「もう、冷たいなあ。栞にもいい人ができるよ、ぐらい言ってくれればいいのに。自分ひとり幸せだと思って」
「そんなドラマみたいなありきたりなセリフが言って欲しいなら、いつでも言ってあげるわよ」
 栞がそんな言葉を望んでいないのは百も承知だ。何がおかしかったのか栞はくすくすと笑った。
「学園ドラマ?」
「そりゃ、そうでしょう。私らの年で昼メロとかはおかしいって」
 あぁ、暑い。夕暮れ時だというのに、気温はちっとも下がらない。それどころか、むしろ気温は上がっているようにすら感じられた。
 でもこのむっとしたけだるさがなんだか心地いいのだった。
 このまま伏せて眠ってしまいたいような。
 ツボにでもはまったのか、くすくすと笑い続ける栞の声がなんだか子守歌みたいでよけいに気持ちがいい。
 さぁぁぁ、と風が吹き込んで、絹糸みたいなストパをあてたばかりの栞の髪をさらさらと散らした。
「連ドラは無理ねぇ」
「よくわかってるじゃない」
「あーあ、恋がしたいな」
 栞はなんだか誤解しているようだが、私にいい人なんていないのだ。栞に弁解したとおり、二人で歩いてるのを見られたのは年の近い従兄弟なのだから。
 まあそこそこ好みの顔立ちで、モノにできたらちょっと自慢できそうな代物だけど。
 毎日毎日学校に来て、授業を受けて。特に仲のいい男子はなし、部活は二人とも帰宅部。放課後こうして二人のいるところに誰かが告白しにくるでもなし。
 唯一部活をしているのぞみは女オンリーの家庭科部で、それ繋がりの出会いなんて望めそうもない。
 ドラマに必要な要素なんて私たちには何もないのだ。ただ、すぎていく時間を埋めていくだけ。
 委員会や生徒会の役員にでもなればまあ、文化祭や体育祭の季節なんかなら二時間くらいにならなるんじゃないだろうか。
「でも体育祭はおわったばかり、役員選挙ももう募集は終わったし」
「ん、なぁに?」
「ひとりごと。役員やイベント実行委員になれば二時間くらいはできるんじゃないかなって思った」
「二時間? ああ、さっきの話?」
 栞の頭はもう別のところにながれていてすぐにはわからなかったみたいだった。
「芽衣子、無理無理。二時間ドラマで学園ものなんてみたことない」
 栞はまた笑い出した。
 映画なら二時間。一瞬頭をよぎったけれど、無理なのはわかりきっていたのですぐに頭の中から消し去った。私達の日常のどこに、映画になりえる要素があるというのだろう。
「ただいまー。なになに、昨日のドラマ?」
 のぞみが帰ってきた。どうやら私たちの話を聞き齧ったようで、ドラマ好きの彼女らしく興味深そうに首を突っ込む。
「違うよ。生活に起伏のないわたしらはドラマにはなれないね、ってはなし。……よし、終わりっ」
 授業中に残してしまった課題がようやく終了した。プリントを束ねて、机でトントンと整える。左上をホチキスでとめるとため息が出た。
 どうして私はいつもこんなに遅いんだろう。
「そ? じゃああたしが友情もののうーん、ドラマは無理だから、マンガにしてあげよう」
 そういうと、消しても無駄なほど外からの光が明るかったのに、のぞみは教室の明かりを消しに走った。それはまったくの無駄ではなくて、窓から離れた隅には光が凝ったような薄闇が腰を下ろした。
「しおり、はっぴーばーすでーっ!! ぱぱぱーん」
 そういってずっと持っていたタッパーを差し出した。最後のぱぱぱーんは、クラッカーの音のつもりだろうか。
「本当!?」
 驚いたのは栞ではなくて私だった。栞が今日誕生日だなんて知りもしなかった。
 思いがけない私の驚きにのぞみはおっとりと微笑んだ。
「ほらー、しおり。マンガみたいでしょー。友情感じない?」
「あんまり。だってのぞみはいつも作ったものくれるじゃない」
 栞は身を起こしてのぞみの差し出した卵色の直方体に手をのばす。
「なーに、家庭科部って貧乏なの? ケーキのスポンジだけなんてしょぼいわね。クリームぐらいつけてよ」
 のぞみはかけらを口に入れる寸前で栞の手を掴まえる。
「きゃー、うそ、うそっ。冗談だって」
 でも、とはたで見ている私は冷静にその様子を観察する。
 栞は絶対にこれが何かわかってない。それ、たぶんカステラだよ。カステラに生クリーム塗って、じゃんじゃんフルーツのってたら不味くはないだろうけどちょっと不気味だよ。
「ごめん、のぞみ。すっごくうれしい。誕生日見事に忘れてくれた芽衣子なんかより断然好きよ」
 そういって栞は動けない手に顔を近づけて一口でそれを食べた。行儀悪く口いっぱいにほおばってとろけそうな顔で笑っている。こんなにおいしそうに食べてくれるなら、私だって栞に作ってあげたくなる。
「はいはい、悪うございましたわね」
 そういって私は。軽くかばんを探り財布を取り出して席を立った。
「じゃあこの芽衣子様が栞の誕生日を祝って飲み物を贈呈いたしましょう」
 右手に財布、左手にさっき終えたばかりの課題を持って。
 課題を提出するついでじゃなければ買ってこないだろうというのはばればれだろうけど。
 まあね、誕生日だし。いつもの安い紙パックじゃなくて30円も高い缶のジュースにしてあげましょう。

 ドラマにもマンガにもなれそうもない私たちの日常だけれども、聞かなくても好きなジュースを選べるくらいは仲がよいのだもの、それでいいじゃない?
 そう思うと、高校最後の年だからこそ恋愛がしたいという栞のことも、味はいいけど見てくれのあまりよくないお菓子ばかり作ってはくれるのぞみのことも、なんだかいとおしくなるのだった。




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